参加者からの質問に答える米国広島長崎原爆被爆者協会の据石和会長(中央)
参加者からの質問に答える米国広島長崎原爆被爆者協会の据石和会長(中央)

アート展に訪れたイベント参加者
アート展に訪れたイベント参加者
 終戦から70年という節目を迎え、全米日系人博物館とオレンジコースト・オプティミストクラブは21日、世界平和と核兵器廃絶を訴えるフォーラムとアート展「Shadows for Peace, for the Sake of the Children(子どものために)」を小東京で催した。イギリスの政治家エドマンド・バーク氏の「歴史から学ばぬ者は歴史を繰り返す」との名言を合言葉に、集まった老若男女約120人は、広島と長崎の被爆者から当時の壮絶な体験を、また反核運動の活動家や専門家から原子爆弾の脅威を学び、悲惨な歴史を繰り返さぬよう誓うとともに、各自何ができるのか考えた。

 同イベントは、広島・長崎への原爆投下の是非を問うものではなく、犠牲者や生存者に敬意を表し世界平和を訴えることを目的に、小東京のほか、19日にチャップマン・カレッジでも催された。
 小東京のフォーラムでは、被爆者の健康状態を調べる目的で原爆投下後に米国医師団として長崎入りしたジェームズ・山崎医師をはじめ、米国広島長崎原爆被爆者協会の据石和会長、およびメンバーら被爆者4人のビデオインタビューが放映された。当時の様子が語られると、会場は静寂に包まれた。

広島市内で被爆した経験を語る大竹幾久子さん
広島市内で被爆した経験を語る大竹幾久子さん
 5歳の時に爆心地から1マイルほど離れた広島市内で被爆し、現在南加在住の大竹幾久子さんは120人を前に自身の体験を話した。集まった人の多くはこの日、原爆投下の歴史をアメリカ史の一部としてではなく、初めて、被爆者の立場から学んだ。
 日系3世のナンシー・高山さんは、「漠然と、『広島と長崎に原爆が投下された』とは知っていたけれど、実際にその地で何があり、その後どのような状況だったのかなどについて学ぶ機会はなかった」と述べ、「アメリカ史には、原爆投下は成功談として記載されているが、今日は被爆者の立場から学ぶ貴重な体験だった」。さらに、「あれだけの壮絶な体験をしていながら、被爆者の多くが怒りや恨みを乗り越えていることに感動した」と感想を述べた。
 イベントの最後に合唱を披露したホーリネス・ユース聖歌隊の一員クリスタル・ベガさんは、この日初めて被爆者の「証言」を聞いたといい、「彼らの身に起こった話を聞いて、涙が込み上げてきた。核兵器廃絶を訴える活動家の人たちが行っている運動についても学べたので、彼らのウェブサイトに行って聖歌隊として何かできることがないかこれから模索していきたい」と述べた。
 同じく聖歌隊の一員で、イベント参加者の中で最年少の1人、9歳のセイラ・フィップスさんは、「今日は知らないことをたくさん学んだ。(被爆者が)とてもかわいそうだと思った」と話した。母親が沖縄出身というフィップスさん。「これから何ができるか考えたい」と話した。
 フォーラムではまた、臨床心理医の美甘章子氏、長崎大学の前川智子教授、Nuclear Age Peace 基金所長のデービッド・クリーガー氏が核兵器の恐ろしさと世界平和を訴えた。
「Shadows for Peace」の共同製作者リチャード・福原さん
「Shadows for Peace」の共同製作者リチャード・福原さん
 イベントの共同製作者であるリチャード・福原さんによると、タイトル「Shadows for Peace」とは、6千度ともいわれる原爆の熱で瞬時に命を奪われ、その影だけが被爆地の地面に残された被害者を意味しているという。「子どものために」は、強制収容所から解放され、差別など厳しい環境の中で一から生活を建て直していた日系人がよく口にしていた言葉であり、アイダホ州ミニドカ収容所で生まれた福原さんにとって、「われわれも後世のために現状を改善していかなければならない」との思いを込めたという。
 ベトナム戦争時代に陸軍に徴兵された福原さんは、戦争反対者。「私のミッション・ステートメントはシンプル。教育と関わり」。次の目標はこのイベントをより多くの学校で行い、生徒の教育に役立てることだと話した。
【中村良子、写真も】

Leave a comment

Your email address will not be published. Required fields are marked *