それほど親しいわけではなかったが、近々会いたいと思っていた。その矢先、ゲリーが急逝した。62歳だった。
 5歳の時に両親に連れられてハンガリーからアメリカに移住したユダヤ系一・五世だ。熱心なユダヤ教徒だった。大学時代には「キブツ」(イスラエルの集産主義的共同組合)で1年間勤労奉仕をした。大学を出ると、父親が始めた不動産業を引き継ぎ、業績を上げた。
 しばらく会っていないと思っていたら、「娘を連れて生まれ故郷に行ってきた。ついでにドラキュラ公爵の城(トランシルヴァニア地方にあるブラン城)に泊まってきたよ」と茶目っ気たっぷりにメールをしてきたこともある。
 お互いにアメリカに移り住まなければ、知り合いにはならなかっただろう。縁遠かった東欧やイスラエルがいくらか身近に感じられるようになったのは彼のおかげである。
 葬儀はマウント・サイナイ墓地で行われた。聖壇の左右には星条旗と六芒星旗が立っていた。ラビの祈祷と説教のあと、親族や知人が次々と故人の思い出を語った。
 彼の両親はホロコーストの生き残りだったこと。「アメリカの土には黄金が眠っている」と言い続けた移民一世の父親の教え。ビジネスで得たカネを惜しみなくユダヤ系慈善団体に寄付していたこと。初めて聞く話ばかりだった。
 初夏の太陽が照りつける中、棺(ひつぎ)が土中に収まると、キッパーを被った男性陣が代わる代わるに土をかけ始めた。私もシャベルをとった。黄褐色の乾いた土だった。
 ユダヤ教の埋葬は土葬だ。
 神の「最後の審判」によって異教徒たちが滅んだあと、楽園(エルサレム)が実現する。その時ユダヤ人の死者だけが生前の姿で復活すると信じているからだ。
 歌人で僧侶の福島泰樹さんは著書『追憶の風景』(昌文社)でこう書いている。
 「記憶の中の死者は死んでいない」
 それほどたくさんとはいえない記憶の中の彼もそう容易(たやす)くは死なないだろう。【高濱 賛】

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