西さんは、米国版紅白歌合戦などさまざまな音楽・芸能イベントでステージに立ち、軽妙な司会でお馴染み。さらに、南加県人会協議会など日系諸団体で重職を兼務し、半世紀以上にわたり精力的に奉仕し、日米親善と日系社会の発展に献身する。
あいさつに立った千葉総領事が西さんの略歴を紹介し、本業の庭園業と、奉仕の日本語教育、日本民謡など伝統文化の普及に尽す多大な功績をたたえた。
ロサンゼルス生まれの西さんは、両親の故郷鹿児島に移住後、56年に帰米した。陸軍を名誉除隊後、造園・庭園業を再開し、80歳の現在も週5日働く。南加庭園業連盟での活動について、総領事は「後進の指導を続け、日本庭園を通じ日本文化の普及や日系人の地位向上に広く貢献した」と称賛。ソーテル日本学院では理事、理事長を歴任しており「日本語と日本文化を次の世代へと継承させる教育文化機関として名声を得ているのは、西さんの功績が大きい」と、賛辞を呈した。
総領事は「誠実で温厚な人柄も相まって、当地日系社会においては、非常に信頼が厚い」と高く評価し、「日系社会の今日の繁栄があるのは、ひとえに西さんのような方の尽力があったこそ、と確信している」と力を込めた。
勲章を胸に付けた西さんは、謝辞で「光栄で、恐縮している。長年支えてくれたコミュニティーの方々のおかげ」と述べた。日系社会に深くかかかわるきっかけは、各音楽バンドの司会を務めたことだとし「コミュニティーの多くの団体のリーダーと知り合い、とてもいい経験を積むことができた。現在も14団体に属し、とても楽しく活動できうれしい」と喜んだ。
司会は通算1000回に上るといい「病気をせず一度も休むことなくできたのは、食べ物など健康に気を遣ってくれた敬子(夫人)のおかげだ」と、内助の功を披露。さらに「敬子は健康管理もうまいが、『夫の管理』も得意」と、ステージと同様のエンターテイナーぶりを発揮し、笑いを誘った。
奉仕仲間を代表し、ジョージ森さん(県人会協議会会長)とキティ・サンキさん(南加日商前会長)が祝辞を贈り、音頭を取った乾杯のあいさつで熱弁をふるった三宅明己さん(オレンジ郡日系協会名誉会長)のそれぞれが、西さんの活躍を褒めたたえ、よりいっそうの活躍に期待を寄せた。【永田潤、写真も】