落語に「日和違い」というのがあり、ハチ公と易者先生との間で次のようなやりとりがある。
 ハチ公「先生、明日の天気は雨かい、それとも曇りかい?」
 易者「うん、明日は 雨が降る天気じゃあないよ」
 ハチ公「そうかい。雨は降らねえのか。ありがとよ」
 ハチ公は、「明日は雨が降る天気じゃない」といわれたのを、雨が降らないと解釈する。ところが翌日はたいへんな雨になり、ハチ公はずぶ濡れになってしまう。ハチ公が易者に文句をいうと易者は「明日は雨が降る。(だから)天気じゃない」といったのだと答えて見事はぐらかしてしまう。似たような、はぐらかし、または誤解表現に、「ここではきものをぬいでください」→「ここで、履き物を脱いでください」と「ここでは、着物を脱いでください」や「ふたえにしてくびにまわす」→「二重にし、手首にまわす」と「二重にして、首にまわす」などが知られている。これらは落語の世界だから笑っていられるが、このような日本語による「はぐらかし」表現を現実の社会の中で利用する人に出会うことがあり、戸惑うことがある。私の実感では政治家や役人のような立場の人に多く利用されている気がする。
 今回の米国大統領選挙でも、選挙が終わった後になって、日本の多くの政治家の先生方がトランプ氏勝利は「想定内」だった、とのコメントを述べていた。確かに他国の大統領選挙の結果で日本が影響を受けることは好ましくなく、日本の政治家、特に政府与党や内閣閣僚の皆さんは、確固たる日米関係継続の立場から、今回の結果を「想定外」とはいいづらく、本音を封じて建前に徹したであろうことはよく理解できる。
 先日、日本のあるテレビ討論番組で大臣経験もある大物政治家が、今回の米国大統領選挙結果は確かに「想定ない」だったが、それは「想定内」でなく「想定無い」だったのだとの本音をもらしていた。討論番組に参加していた全員大爆笑だった。
 日本語以外の外国語にこのような表現があるかどうか、調べていないのでよくわからないが、日本語とは便利で奥深い文化を秘めた言語だ。【河合将介】

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