映画『青い山脈』が最初に上映されてからちょうど70年目になる今年の5月、杉葉子さんがひっそりと日本で旅立たれました。
 パロスバーデスにお住まいになっていた頃には、しばしば突然の呼び出しがあって、アーバインから車で1時間近くかけて駆けつけると、「パソコンの使い方がわからないのよ」と、にっこり笑って出迎えてくれたことを思い出しました。そしてパソコンには触れもしないで、いつまでも終わらない時間を過ごしたものでした。映画監督の大林宣彦氏がLAに来た時には、杉さんと一緒に昔話をし、俳優の仲代達矢氏が来た時も真っ先に会場に駆けつけたのは杉さんでした。杉さんはいつも夢を見て、懸命に自分の人生を楽しんでいたと感じました。
 3年ほど前から、日本の介護施設に居を構えた時に施設を訪問しました。杉さんは開口一番こんなことを私に言いました。
 「私には息子も孫もアメリカにいますので、まだ日本に帰国したいと思っているわけではないのです。でも今住んでいるところは、とても環境が良くてとにかく食事が口に合うので気に入っていますよ。若い頃は仕事への欲や、恋愛をしたいなんて欲がありましたが、年をとってしまいますと食べることの楽しみが格別に大きな幸せだと感じます。日本の四季の美しさも素晴らしいと思います。日本の社会のシステムなどまだ知らないことが多いので、これから勉強したいと思っているのですよ」と、常に前向きな生き様を垣間見せてくれました。
 杉さんの言葉にはよく「私は夢見る夢子さん」という言葉が出てきました。「日米を行ったり来たりして暮らしてみたいし、息子が建築家なので、東京オリンピックの建物の建設に携わってくれることが私の夢です」と話し、その後には「夢子さんなのですけどね」と続くのでした。
 パロスバーデスの丘の上から海が見える家の主に会うことはできなくなりましたが、自然に囲まれ、カタリナアイランドが見え、時には鯨の大群が見える、そんな風景があるこの地を、世界一美しいと言ってやみませんでした。今でもたくさんの夢を見ながら、日米の懸け橋を続けているのだと思います。【朝倉巨瑞】

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