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オバマ氏の広島訪問を切に願っていたASAのメンバーたちは、その家族、友人たち、他の団体の協力を得て1000通のポストカードをホワイトハウスに送る活動をした。ジョン・ケリー国務長官が4月11日に広島を訪れたことがきっかけとなり、1人1人が手書きでメッセージを送ればオバマ氏も訪問してくれるのではないかと期待を込めたという。実際、彼らの願いは現実のものとなった。会見では、4人の被爆者たちが過去の経験や、オバマ氏の広島訪問について思いを語った。
◎被爆者たちの声
「大統領の広島訪問に心から賛同する。核が拡散しないよう世界中と連携を強めてもらいたい」と話すのは帰米3世のハワード蠣田(かきた)さん(78)。
「謝るべきかどうか注目されているが、その必要はないし意味がない。あれからもう71年。オバマ氏が悪いのではない。謝るべきなのは原爆を落すと決めた当時のトルーマン大統領とその政権、そこに関わった人間だと思う」と話す蠣田さんは、1936年3月16日に帰米2世の両親のもとイースト・ロサンゼルスで生まれた。広島に住む祖父が病気で命が短いということで日本に会いに行った際、被爆地から0・8マイル(約1・3キロ)の所で被爆した。7歳の時だった。
8月6日は「とてもきれいな朝だった」という。登校中、空襲警報が発令されて休校に。原爆投下の音も光も聞こえなかったが、数分後、瞬時に吹き飛ばされて大量の瓦礫の中に埋まっていた。体は奇跡的に無事で、弟も少しやけどをしたくらいですんだ。「周りには体から骨や内臓が飛び出していたり、肌がひどく焼けて皮膚が体から垂れさがっていたり、死体もとてもたくさんあった」と当時の悲惨な様子を語った。
更科さんはオバマ氏の訪問をとても喜んでいる。オバマ氏自身が被爆の悲惨な状況を見て感じてくれることが大切だとし「謝罪については賛否両論あるだろうが、訪問は原子爆弾を廃絶するための大きなステップ。私たちだけでなく、子ども、孫、その先の世代の命を救うことになる」と期待を寄せる。
据石さんもオバマ氏の訪問を歓迎している。「戦争には双方に責任がある。けんかは1人でできないし必ず相手があること。日本もアメリカも戦争が始まって、互いに厳しい生活を強いられた」とし、謝罪をする必要はないと話す。
難波亘(なんば・わたる)さん(88)はカリフォルニアのアカンポで1927年6月26日に生まれ、広島に移った。18歳の時に被爆した。難波さんは日米関係がとても大切で、オバマ氏の訪問で広島の人たちがアメリカのことをより友好的で身近に感じるようになってほしいと思っている。「謝る必要は無くて、息子や家族を亡くした人たちを心から思っていることを表現することが大切」という。(【下】はこちらから)