大江健三郎さんと会ったのは、大学3年の頃だったか、当時は紙のよろいを身に着けているような、隙だらけの文学青年でありました。ある日、「大学に大江さんが講演に来る」と言う友人の誘いを二つ返事で答えると、早速大学地下の本屋で大江さんの著書を買って読んでから、講演会に参加しました。講演が終わると、サインをもらいに著書を携えて列に並びました。そして自分の順番になると、大江さんは、静かに私に名前を聞きました。私の旧姓は、聞き慣れない珍しい苗字であったために、その出身や先祖のことに興味を持ったらしく、「ほーっ」と言って眼鏡の奥の目を細め、漢字を確かめながら、丁寧に私の名前の横に自分の名前を書き入れてくれました。たった数分の会話でしたが、未熟な私に突き刺さったものは大きかったようで、その後、大江作品を読みあさったのを覚えています。それから10年ほどして、大江さんはノーベル文学賞を受賞し、彼の難解な文学に少しでも触れていたことを喜びました。
大学では、音楽サークルを作り楽しんでいました。シンセサイザーを買って練習に明け暮れました。80年前後からは日本にフュージョンやテクノポップという新しい音楽が台頭していました。YMOもその一つです。特に坂本龍一さんの音楽活動や社会運動は、われわれのような学生の考え方にも大きな影響を与えました。そして、坂本さんはその後、アカデミーの作曲賞を受賞します。
大江さんは米ソの冷戦の頃から核戦争による危機を訴え続け、坂本さんも生涯をかけて反戦、反原発を訴え続けました。そして東日本大震災の後には、大江さんと坂本さんが共同で「脱原発基本法」制定を目指す団体を設立したのでした。2人は、思想家であり社会運動家でした。ですが大声を張り上げるのではなく、文学と音楽で、生涯にわたり原発の廃止、戦争への反対、地球環境への配慮を訴え続けたのです。くしくも、今年3月に世界の癒やしを願う「2人の巨人」がこの世から去っていきました。私たちは、彼らの意思をどのように次の世代に伝えれば良いでしょうか。(アサクラ ユウマ)
