三本締めを行う(左から)大原会長、塩田県知事、曽根総領事、岩下実行委員長

 南加で最古の歴史を誇る南加鹿児島県人会はこのほど、トーレンスのダブルツリーヒルトンで創立125周年記念祝賀会を催した。塩田康一鹿児島県知事をはじめとする訪米団と親睦を深め母県との絆を一層強めるとともに、参加者約320人が、祝賀会のテーマ「過去に感謝し、現在を喜び、未来につなぐ」に沿って先人に感謝し、125年の節目を盛大に祝い、「薩摩魂」を継承する若い世代に未来を託した。

あいさつに立つ大原会長

 フランク大原会長があいさつに立ち、鹿児島からの塩田知事、松里保廣県議会議長ら一行と、地元日系社会からの多くの参加に感謝を述べた。記録の中から創立時の活動の目的「親睦と融和を目指し、相互援助、教育の推進を図り、公共の福祉増進に寄与する」という文言を紹介し、「先輩たちがこれを延々と継いできたおかげで現在の鹿児島県人会がある」と強調し、県人会のこれからの永続に意欲を示した。

 この日配布されたプログラムには、日英両語で県人会の沿革が記されている。幕末から日本を動かし明治維新の立役者を多く輩出した鹿児島。海を渡った鹿児島移民も新天地カリフォルニアで先見性を発揮し、他に先駆け県人会を創立した。

 125周年特別事務局長の鶴亀彰さんが県人会史を紹介し、「われわれが今日、当地で平和で楽しい生活ができるのは薩摩人の先輩たちのおかげである。多くの薩摩人がこの広い土地で生き、そして死んでいき、その中で有名になり記録に残っている人もいるが、ほとんどの人は無名のままで亡くなっている。だが彼らの伝統は残っている」と、力を込めて語った。米国ではアラバマ、テキサス、ルイジアナ、フロリダのの4州に「SATSUMA」の名が付いた町があるという。町の名称の直接の由来は薩摩ミカンにちなむものだが「記録に残っていない薩摩人の功績だ」と力説した。

 以下は、県人会の沿革を紹介したプログラムからの抜粋。

 41年に真珠湾攻撃により太平洋戦争が勃発し翌42年、県人会は自発的に解散し、会員は収容所生活を強いられた。戦後の47年、南加鹿児島倶楽部として再発足し、50年に南加鹿児島県人会へと改称した。

乾杯する塩田知事(左奥)と北垣戸和恵・南加県人会協議会会長

 鹿児島出身の内田善一郎さんが主導し、難民救済法を活用した55、56年の2年間で鹿児島から計333人の若者が渡米した。59年には難民移民家族呼び寄せで永住権を所持した1100人の家族が鹿児島から移民した。

 72年に渉外部、文化部、余興演劇部、運動部を、83年には青壮年部、鹿児島ヘリテージクラブの前身となる鹿児島ジュニアクラブを設立し、精力的に活動する。
 99年には創立100周年記念祝賀会を開催し750人が参加。同年秋には母国訪問団55人が鹿児島を訪れ歓待を受ける。その後は、母県との人的交流を活発化させる。

 2006年に鹿児島県人先亡者慰霊碑をエバーグリーン墓地に建立した。節目の年の110、115、120周年祝賀会を開く。20年には新型コロナウイルスの影響で活動は休止し、月例の役員会はズーム会議で行う。21年に鹿児島ファンデーション主催で、南加と鹿児島をつなぐ「日米キッズズーム会議」がスタートし、今月で20回目を迎える。23年、コロナ禍で中断していた活動を再開し、新年会やピクニックで親睦を深めている。また、125周年記念式典の準備委員会を立ち上げ、24年に記念祝賀会を開催した。

鹿児島ファンデーションによる高校卒業者とエッセーコンテスト入賞者の表彰式。右端が織田会長

 祝賀会では表彰式を催し、まず奨学金授与などで若者を育成する鹿児島ファンデーションの織田寿子会長が、県人会の未来を担う子弟に高校卒業の祝い金を、エッセーコンテストの入賞者に賞金を授与した。次に県人会の発展に貢献した会長経験者の宮内武幸さん、川口吉則さん、タック西さんを特別功労者、マーガレット宮内前会長と大原会長を功労者として表彰した。また、100歳以上の3人、山口きくよさん(104)、福元ヒノさん(102)、山内美穂子さん(100)、88歳以上の41人を高齢者表彰し、塩田県知事からそれぞれに表彰状が贈られた。

 受賞者を代表しマーガレット宮内さんが謝辞を述べ、「われわれは個人として表彰されたが、ここに至るまでは皆さんの支えがあったことを忘れてはならない。皆さんの励ましと支援が、ここまで導いてくれた。本当にありがたく思う」と話した。

 祝辞は来賓を代表し、南加と鹿児島の各人が述べた。南加から日系商工会議所の竹花晴夫会頭、県人会協議会の北垣戸和恵会長、アル・ムラツチ加州下院議員、曽根健孝総領事が、そして鹿児島からは塩田知事、松里県議会議長らが登壇し、県人会会員が125年の長きにわたり、戦争や差別などの幾多の苦難をたゆまぬ努力で乗り越えてきたなどとたたえ、さらなる発展に期待を寄せた。

塩田県知事(左端)から特別功労者表彰と高齢者表彰を受けた会員

 大原会長と来賓による鏡開きを行い、祝賀会実行委員長の岩下寿盛さんの音頭で乾杯した。余興は日本舞踊と歌謡曲、日本民謡が披露され、鹿児島を代表する民謡「鹿児島おはら節」を参加者が輪になって踊り、心を一つにした。また、鹿児島県、鹿児島県議会、鹿児島商工会議所から125周年の祝い金が大原会長に手渡された。最後は大原会長、塩田県知事、曽根総領事、岩下実行委員長が舞台に上がり三本締めを行い閉幕した。

 祝賀会を成功に導いた大原会長は、「役員と実行委員長、各県人会、県庁など皆さんの協力で成功することができた。『ありがとう』の一言」。予想を超える倍以上の人数の参加があり、会場が窮屈になり皆さんに申し訳ないことをした」と振り返った。大原会長によると、今回のエッセーコンテストは「祖父母から鹿児島の話を聞いて書く」というスタイルで募集したという。「鹿児島を知らない孫の世代の9人の受賞者に式典に参加してもらい、これまで関心のなかった県人会を知ってもらうことができた。成功できたので、このような形で未来につないでいきたい」と話した。(永田潤、写真も)

輪になって鹿児島おはら節を踊る参加者

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