二大政党制の米国では政権が変わると、さまざまな方針が180度転換される。振り子のようでもあり、オセロのようでもある。面白がれたらよいのかもしれないが、正直、「疲れないですか?」と思ってしまう。
 多様性と包摂性を重視するDEI(ダイバーシティー、エクイティー、インクルージョン)が称賛されていた社会が、突然「逆差別」と見なされ「NG」となる。日本人からすれば、「なぜ方針がそんなに頻繁に変わるのか」と驚くが、米国人にはこれこそが「国民の選択による柔軟な修正機能」らしい。
 政権が交代したら、環境政策は「パリ協定復帰、EV推進、脱炭素」から「離脱、石炭・石油産業支援」へ、移民政策は「受け入れ」から「拒否」へと、大きく方向転換された。どちらが正しいか一概には言えない面もあるが、トランプ氏によるDACA廃止だけはどうしても心に引っかかるので、一度は声を出したい。
 私の子どもは日本で公立小学校に通い、米国では6年生(ミドルスクール)から現地校に通った。保護者として日米の教育制度や価値観の違いに日々驚かされたが、その多くは、私には好ましく映った。その一つがDACAだった。
 DACAは、幼少期に親に連れられて不法入国した移民の若者たちを保護し、「追放しない」ことを保証し、運転免許や就労許可の道を開く政策で、オバマ政権が2012年に大統領令で導入した。彼らは通称「ドリーマー」と呼ばれる。子どもの同級生にも実はDACAの子がいて、その子が「DACAのおかげで運転免許が取れるようになるんだ」とうれしそうに話していた姿が、今でも忘れられない。
 「親の都合で連れてこられた子どもたちを擁護する」という考えは、移民のステータスを問うことなく全ての子どもに等しく教育の機会を与えるという公立学校の方針と重なり、親として強く感動した(私は普段はのらりくらりしているが、子どもを守る場面ではスイッチが入り、譲れない意見を持つタイプである)。
 信じてきた価値観が翌日には逆風となる社会において、立場を守るために自身の言動を修正しなければならない場面は、社会人であれば経験することだろう。それでもなお譲ることができない論点こそが、自分自身の価値観の核心なのかもしれない。(長井智子)

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