今年で米中枢同時テロから25年を迎え、テレビでは当日の映像を流しながら、犠牲者追悼式典や新たな被害者救出の話などを放送していたが、私は、事件後、アラブ系米国人がスケープゴートとされ、彼らに対するヘイトクライムが続発したことを思い返していた。
 記憶に残っている印象的なことの一つは、多発するアラブ系に対するヘイトクライムの撲滅を叫び、日系人らが早々と行動を取ったことだった。事件翌月の10月には全米日系人博物館前で集会を開いた。それから何年か続けて、毎年2月に催される「想起の日」でアラブ系への連帯を鮮明にしたが、そこに、戦時強制収容への補償を勝ち取った日系人の人権意識の高さを見たように感じたことを思い出す。
 そこには9・11によってスケープゴートとされたアラブ系の心の痛み、あるいは傷に対する、日系人としての理解、あるいは共感があるという印象も受けた。第2次世界大戦勃発で「敵性外国人」とされ、強制収容された日系人だからこその理解であり、共感だったろう。
 衝撃的な事件が起こると、いつも特定の民族や人種グループがスケープゴートの被害を受ける。新型コロナウイルスがまん延した際には、中国が元凶などという言説が一部で広まり、中国系はじめ多くのアジア系がヘイトクライムの被害に遇った。
 そして今また、対イラン戦争が続く中、米国内のイラン系の人々がスケープゴートにされ、ヘイトクライムの被害を受けているという。25年前と違うのは、ヘイトクライムがSNSや生成AIなどによって爆発的に拡散されること。彼らは本国の凄惨(せいさん)なニュースに心を痛めながら、自分たちの市民権や安全が脅かされるという二重の恐怖に直面している。
 こういう話を聞くとやはり、旧日本軍による真珠湾攻撃後の政治的・社会的な戦争ヒステリーのことを思ってしまう。今それと同じような状況下にある人々の心の痛みを、どうしたら分かち合うことができるか。そんなことを考えながら、私には1人も中東系の友人がいないことに気付かされた今年の9・11だった。(長島幸和)

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