「俺を覚えている? 何度か自宅にも遊びに行ったよ」「私を覚えている? あなたが学級委員長だったとき私は副だったのよ」。1年半前の帰郷でやっと消息がついた友人の肝いりで中学時代の同期会が実現した。なんと指折り数えれば五十数年ぶりである。見ればみんな髪は白くなり薄くなり、自分の記憶も朦朧(もうろう)として何を言われてもぴんとこない。皆さんにとっては何とも張り合いのない相手だ。しかし、話を辿ってゆくうちに少しずつ記憶がよみがえり、そのときの情景までもが浮かんでくる。これが同期会のよいところか。
自分は小学2年生の途中での転入生、朝鮮からの引揚家族で、父を失い幼い子供を大勢連れて実家に世話になる母子家庭、生来の引っ込み思案にこんな事情が重なり、隅でひっそりと生きてきたような気がする。しかし同級生とは有難いもの、少し毛色の変わった仲間を記憶に留めてくれた。私の松山訪問を機に集まってくれた仲間たちは、これを機会に同期会を続けようという相談がまとまった。とすると隅っこにいた内気少年は少しみんなのお役に立ったような気になる。
ついでに親戚へのあいさつを思い立ったこのたびの旅には家内を伴った。松山を訪れるのは2回目だそうだ。母や兄弟姉妹が四国を出たのでなかなか訪れる機会がなかった。着いた夜、本家が音頭をとって皆を一堂に集めて歓迎してくれた。
一人が元の住み家を案内してくれた。港も駅も町の様子も様変わり、記憶にある風景とつなげるのに苦労する。
帰りには大阪で関西加州会に出席し、40数年ぶりの鳥羽を訪れ、式年遷宮を目前にした伊勢神宮にお参りした。楽しませてくれた桜の季節が終わり、日々緑が濃くなってゆく。私の最も好きな若葉の季節、目に鮮やかな柿の葉のうす緑が陽光にきらめいて青空に映えるさまは言いようもない。心の底からエネルギーがわいてくる。感傷を置き去ってまた新たな日々に向かう気持ちがわいてきた。【若尾龍彦】