今年のお盆は亡き姉の新盆、お寺に親戚一同が集まり新盆の法要を行った。一同が揃ってお墓にお参りし、墓周りを清掃して香華を手向け合掌する。そのあと打ち揃って本堂に向かいお坊さんの読経を聞きながら焼香をした。小学生の子供たちも神妙に大人に習って参列者とお坊さんにお辞儀をし焼香。その間、親族間の席順を学び焼香の所作を覚える。木々の茂った静かな山間のお寺に降るようなセミ時雨…ああ、日本のお盆だなあ!
 法要の前にお坊さんのお話があった。「お盆はわが家にご先祖さまを迎える日です。お盆の先祖霊お迎えの用意は12日または13日頃から行い、13日夜に迎え火を焚きます。お盆の間(13日夜〜15日)は仏壇を閉じます。本尊に見られていると霊が帰ってきにくいのでお盆の間は仏壇を閉じ、庭などに精霊棚を設け供物を供えます。お坊さんはその供物棚にお経を唱えこれを棚経といいます。お墓参りは先祖がそれぞれの家に帰っているので16日に行うかそれに近い日に行うのが望ましい。16日には送り火を焚いてご先祖さまをお送りします」。
 どうやら姉の新盆法要を14日にお寺で行ったのは作法に外れていたようだ。とはいえ地方地方や宗派によってさまざまにしきたりは違う。しかし、法要を機に親戚一同が寄り集まり、大勢の子供たちが打ち溶け合って絆を深めてゆく様子を目の前で見ていると、お盆に限らずさまざまな行事は、まさに人間同士を結びつけるために人々が長年掛けて作り上げた社会の仕組みだと感じられる。
 この子供たちは、幾つになっても親族が打ち揃って共にお盆を迎え、迎え火や送り火を焚いたり一緒に盆踊りを踊ったり夜店をひやかしたりした思い出は、一生思い出としてついて回ることだろう。
 迷信といい、無駄といい、従来の親族同士のしきたりが薄れてゆく。その先には幼児を虐待し、高齢の親の行方や生死も知らないという社会に行き着く。お盆を機に私たちはもう一度先祖の残してくれた人間の知恵をかみしめたい。【若尾龍彦】

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