普段あまり見ないNHKの「視点・論点」を最後まで見てしまった。「『空気』の研究」という前から関心のある演題だったからである。講師は、森田朗教授(行政学)。
「空気」といっても大気汚染とか地球温暖化の話ではない。周りの雰囲気が読めないことを「空気が読めない」、一時「KY」などと言われた、あの「空気」のことだ。
中国や北朝鮮と違って日米では言論の自由が保障されている。他人の名誉や権利を侵害しない限り、自由にものを言える。しかし、実際には、誰もが感じていながら、あるいは全員がそうであると認識しながら、それを口に出してはいけないこと、ましてやそれを否定することなど許されないことがある。そこには目に見えない呪縛、タブーがある。それを「空気」だと、教授は言うのだ。
教授によれば、その「空気」が本来真剣に論議せねばならない継続性のある社会保障とか、そのための財源、増税問題から国民の目をそらしているという。日本をあの無謀な太平洋戦争に突入させてしまったのも少数意見を抹殺してしまう「空気」のなせる業だ、と説いたのは評論家・山本七平だ。
今の日本で言えば、「諸悪の根源は官僚である」とか、「地方へ権限も税源も移譲すべきである」、「社会保障をもっと充実すべきである」という主張に反対して、官僚を弁護したり、地方分権に反対したり、社会保障の削減を言おうものなら、それこそ「空気が読めない奴だ」といって仲間はずれにされると、教授は言う。
始末に悪いのは、そうした「空気」をメディアが煽りたて、自前の世論調査の結果だけが「唯一の正論」のごとく金科玉条にしている、と教授は憎まれ役を買って出ている。
この「空気」論、日本だけのことだろうか。イラク侵攻の時のアメリカには反対できない「空気」が歴然としてあった。白人の間に浸透している「ティーパーティ運動」は11月までに全米をすっぽり包む「空気」になるのだろうか。【高濱 賛】