忌まわしい、悪夢のような地震と津波が東北を襲って、すでに二十日になろうとしている。あの朝は刻々伝えられるニュースの悲惨な画面に縛られて出勤のぎりぎりまでTVの前を離れられずにいた。
 日系社会福祉団体という職場の関係上、最初の一週間は報道機関も含めて地域の団体や個人からの被災地や被害者に関する救援の問合せや義捐金募集の段取りに忙殺されて通常の仕事は後回しにされてしまったが、街を行けば路上で、電車の中で、マーケットで、見知らぬ人々から次々と声をかけられた。
 「日本人ですか。あなたの家族や親戚は大丈夫?」「早く復旧できるといいですね。」「何か私たちにできることはありますか?」
 義捐金の受付をウエブサイトで流した途端に電話がなり始め、Eメールが届き始め、道行く人々が小切手を持って入ってきた。
 「私の息子は昔柔道をやっていて、日本に研修に言ったことがあります。日本の皆さんに親切にして頂きました。日本の皆さん、頑張ってください」「軍隊で日本の米軍基地に駐留していたことがあるので…」「うちの隣に住んでいた日系のおばあちゃんに娘が可愛がってもらいました」
 被災地が寒いと聞けば毛布や衣類を送りたい。飲み水が無いと報道されれば「5ギャランボトルが20本あるのだが送れるだろうか」。涙が出るほど有難い申し出も、搬送や受け入れ側の都合もあり、気持ちだけを戴いて断らねばならない場合もある。
 小さな街角のマーケットの若い店員は、ポケットから5ドル札を取り出して、しわを伸ばしながら、「これだけしかないけれど日本に送ってください。早く元の暮らしに戻れますように」と差し出した。
 市井の人々の日常の小さな親切が、それを受けた人々の心の中に残っていて、見も知らぬ被災者のために、こんな時こそ何かできれば…と言う。著名な外交官や政治家の意図的な行為ではとても出来ない芸当である。
 国や人種の違いは、人間の心の温かさと何の関係も無いことを思い知らされた一週間だった。被災された方々にこの地の人々の心が届きますように…。【川口加代子】

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