「このグループは毎回参加費を払っているのに準備や後片付けをしなければいけないし、その上ファンドレイジングではボランティアをしなければならないし、仕事の多いグループですね」
 このグループとは、就学前の幼児のための日本文化サークルで、原則として親子で参加するものだが、最近参加者の中からこんな声が聞こえてきた。
 30年近く前に日系三世のお母さんたちのボランティア体制でスタートしたこのグループは、学校法人ではないが今日、日系福祉団体の正規のプログラムに組み込まれるまでに成長した。
 前記の声だが「毎回参加費を払っているのに…」と「のに」が付いたところをみると、これは声とか意見というより明らかに苦情、つまり文句である。
 ひょっとするとこの保護者は、幼児教育の文化教室で参加費を払うことで参加者からお客さまになったような錯覚を起こしたのではあるまいか。両親が子供の教育の場でボランティアをすることはアメリカ社会では常識であり、特別なことではない。
 日本人はボランティアが苦手だといわれる。奉仕という言葉はあるが習慣の無い社会で育った人に、突然ボランティアをしろというのは無理な話かもしれないが、せめて非営利団体や教育の場の運営がどれほどボランティアに支えられているかを知ってもらいたい。
 朝のクラスの準備、クラフトや昼食の後の片付けや掃除を親子ですることは何よりの幼児教育になる。逆に、参加費さえ払えば余分なことをする必要は無いというのは、悪い教育の見本のようなものである。親の背中を見て子は育つといわれるが、親が良いお手本を見せなくてなにが教育か—。
 「文句」に対する文句を言いながらも、このたびの東日本大震災の被災地で多くのボランティアの人々が自分を顧みず支援の手を差し伸べ合っているのを見るとき、「日本にもボランティア精神健在!」と誇らしい気持ちになる。両者とも日本人である。この差は一体どこにあるのだろう。
 人間は恵まれた環境の中で不自由なく暮らしていると、助け合いの心を失うのかもしれない。【川口加代子】

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