東日本大震災から3カ月が経過した今、米メディアから被災地の様子が報じられることは、ほとんどなくなったように思える。
一方、ロサンゼルスの日系コミュニティーでは、今も連日のように復興支援のイベントが行なわれている。
主催者と接してみて感じたことは、現在は復興支援もさることながら、「震災のことを忘れないように」との思いを込めて開催しているということだ。半年、1年、2年と年月が経つにつれ、震災の爪痕を復旧する長期的支援を呼び掛ける動きは不可欠だ。
先月も小東京で被災者救援コンサートが行なわれ、そこに岩手県大船渡市で実際に震災に巻き込まれた被災者の姿があった。その日のために、日本からはるばるロサンゼルスを訪れての出席だった。
被災した人が共通してわれわれに伝えることは、「ちょっとした油断が生死を分ける」ということ。地震発生後、津波の脅威を察知し、直ちに高台に避難した人は助かり、高台ではなく住居2階に避難した人々が、後日帰らぬ人となったという。判断ミスが運命を左右することを痛感するエピソードだ。
また常日ごろから震災を「想定内」と考え、防災リュックを常備しておくことを強く勧めていた。水や保存食、バンドエイドなどを詰めたバックパックを用意し、すぐに背負って逃げられるようにしておくと、数日間は生き延びることができるという。ロサンゼルスはいつ大地震が起きてもおかしくないと言われる。被災者の話を聞く機会に恵まれ、震災の教訓から得たアドバイスは、ぜひロサンゼルスに住むわれわれの生活の中で生かしていってほしい。
心温まる発見もあった。海外在住の日本人からのエールが、被災地に届いているということ。応援メッセージはテレビで何度も放送され、「心の大きな支えになった」という。ロサンゼルスからの支援の声も被災者の心に響いていたことを知り、うれしくなった。たとえ何年もの月日が必要になろうとも、震災を過去の出来事にせず、できる限りの支援、エールを送り続けていきたい。【吉田純子】