日本での夏がこれほど暑いと、地球温暖化の影響を考えてしまうのですが、少年の頃のことを考えてもやっぱり夏は暑かった記憶があります。どこからか雨雲がやってきて雷鳴が近づいてきます。雷には耳を塞いでいましたが、トタン屋根にはね返る雨の音が激しくなっていき、そして少しずつ軽くなっていく雨音の不思議なリズムを、耳を凝らして聞いていました。とたんに、雨雲の隙間から照り出そうとする太陽の眩しい光が鮮やかな夏の緑に反射し、いつの間にか休止していた蝉の声が再び始まります。いつまでも忘れえぬ日本の夏の風景です。
1945年8月15日の正午にラジオ放送で流された天皇のはじめての声は、玉音放送として国民に終戦を知らせました。当時の政府は国体の維持を降伏の条件と考えていましたが、昭和天皇は自らの保身を捨て、日本の将来を思い、無条件降伏をすることを閣僚に説得したのです。玉音放送で使われた原稿は何度も書き直されて録音されましたが、1回の録音に満足せず2回目の録音を要求しました。原稿の文字以上に、自らの強い思いや気持ちを示そうとしたのかもしれません。軍国的な思想が大きな勢力を持ち、まるで強い台風が吹き荒れた戦時に、民主的な一風を送り込んだ瞬間だったのかもしれません。
「どんな暴風も徳風、微風へと転じていく」と親鸞は説きました。人生にはさまざまな風が吹きます。時には暴風、熱風、逆風に立ち向かわねばならない時もあります。また、どうしようもない隙間風が心の中に吹く時もあります。ただ、どんな強い風もいつかは凪いでくるものです。夏の暑い中、一瞬で生気を取り戻す爽やかな風が通り抜ける時があります。これを「極楽の余り風」と言います。極楽浄土から余った風がすこしだけ地上に吹いて、心を和ませた瞬間を表したものです。そして、どんな時にも「極楽の余り風」が涼風となって吹く瞬間があるということを忘れないでください。【朝倉巨瑞】