宮城県南三陸町志津川にて―
高さ20メートルを超える大波が襲い、見渡す限りの町全体が吞み込まれ、3階建ての防災センターはアンテナだけを残して海に沈み、柱の鉄骨だけが無残さを残していました。防災無線担当の職員であった遠藤未希さんは「高台へ避難してください!」と息絶えるまで放送をし続けましたが、自分は決して避難しようとしませんでした。町中に響き渡った彼女の声は、多くの住民の命を救いました。
公立志津川病院前と書かれたバス停の前に病院の跡はなく、志津川駅前と書かれた標識の回りどこを見ても、線路も駅舎もありませんでした。それでも、土台とがれきの山だけの町、それ以外何もない町で、復興に向けてあきらめない人たちに会いました。今では魚を獲ることができない漁師さんや、人を泊める場所のない旅館の主人、温かい食事を出す店舗がないレストラン店主などの地元の方々です。
八方塞がりの中でも光を見いだそうとする人間は、間違いなく強いと感じました。
復興の象徴になっている海辺の番屋では、海の男たちが眼をきらきらと輝かせて、明日を見つめている。後方には詰まれたがれきが見え、ライトバンと発電機を用いた音響で、漁具を入れる箱をひっくり返した手作りの観客席。
そんなお世辞にもステージなどと呼べない場所で、八神純子さんは素敵な笑顔で歌っていました。海に向かって、大地に向かって、その声が天まで届きますように、と祈るように。一羽のカモメが急降下して観客の力強い拍手に華を添えた時、その歌声は明らかに被災地を救う声だと感じました。
大切なことは、どんな困難が前に立ちはだかっても決してあきらめないこと。明日を向いて、一歩前に進むこと。彼らができることも、私たちができることも、一歩前に進むことだけだ。かけがえのない素晴らしい人たちの中にほんの一瞬いただけなのに、なぜだか涙があふれてきました。【朝倉巨瑞】