東京は千駄木にある旧安田楠雄邸には、見事な雛飾りや五月人形が展示してあります。これらは山本保二郎という人物によって制作されたものです。
フィラデルフィア日米協会の偉人伝によると、彼は1904年のセントルイスで行なわれた万国博覧会のために渡米し、日本展示館の茶業組合の陳列装飾担当者として御殿風の部屋の中に、茶の湯の式に臨む等身大の生き人形(生きた人間のように見える人形)2体を制作しました。
それがフィラデルフィアの博物館の設立者となる大学教授の目に留まり、20年もの間アメリカで、博物館の産業館用の作品を作り続けました。
彼が作り展示した人形は、当時のアメリカの技術では考えられないほど実に精密なものであり、来館した人々を驚かせたそうです。
その後60歳を越えてから日本に戻り、明治から昭和初期に三代にわたって、皇族や財界人らに愛された人形師「永徳斎」(えいとくさい)一族の第三代目となります。
彼こそが三代永徳斎であり、米国さんと呼ばれた男でした。
彼がアメリカで制作した作品はほとんどが失われており、彼の存在自体も謎に包まれていましたが、アメリカの倉庫から眠っていた作品が発見されたのをきっかけに、その存在が明るみに出たのです。
鎖国をしていた日本が開国をし、数多くのことを世界各国から学んだに違いないのですが、こんな時代にもアメリカが日本に学んだ機会があったわけです。日本の伝統的な巧みの技が、100年以上も前にアメリカに持たらされたことは驚きに堪えません。
そして、あらためて日本人が生まれながらに持っている繊細な技やこころがあることを、思い出す時かもしれません。
どんな状況に置かれても私たちは、いつか太陽が登ることを知っています。そんな素晴らしい国の遺伝子を持って生きている奇跡を感謝し、かみしめることが、本当の意味で開国することの大きな財産であることを感じます。【朝倉巨瑞】