日系諸団体の100周年、50周年記念イベントが続いている。日系移民によって開かれた歴史、日米の懸け橋にもなった活動の一つ一つ、幾多の困難を経て現在に至る。今、われわれが安易に渡米できる基盤を作った歴史がそこにある。
 100年もの歴史を刻みながら、国際化はどうか? 先日、日本に行ったとき、海外勤務を終えて帰国した2組の家族に会った。
 幼児を連れての海外勤務、海外で生まれた子を連れて帰国の2家族。その子供らが帰国子女を受け入れている評判のいい公立校に転入した。にもかかわらず、殴る蹴るの暴行を受けている男の子、女の子たちも学校へ行くのを嫌がっていた。
 日本に帰って学校へ行くのを楽しみにしていた子供らの期待は、見事に裏切られたと言っていた。
 異国での生活は、その国の規範や文化を受け入れて、オリジナルの文化や考え方を認めてもらえるように努力して帰国までの期間を過ごす。帰国した人たちは、母国と異国の文化・言語等を兼備しているので、付加価値がついているといっていいと思う。しかし、その付加価値を敬遠すると排除につながるのだろう。
 日本に戻るとき、日本という国、日本人に求める夢といったらいいだろうか、先入観が働くように思う。日本人が持っていた卑怯を嫌う、正義、助け合いの気持ちなどがある社会、そこに同じ言語を使える安心感など、異国で大変な体験をしてきた後では期待感は膨らむ。ところが、以前はあった人とのつながりが消失、表面ばかりを繕う、思慮のない唐突な言動、進む自分本位など直面する現実は厳しい。小学校の英語履修だけは進む。
 年齢に関係なく、直にではないパソコンや携帯メールなど機器を通した会話が増加し、人との距離をどんどん離していくように思う。真意を測れない虚構の世界、送る側と受け取る側の感覚のずれが起こることば遊びに不安だけが増幅される。この状況下では、異文化感覚を持つ者が受け入れられるのは難しいだろう。
 先人たちが考えた国際交流は、こんなことではなかったと思う。付加価値を受け入れられる度量を持つ社会であってほしい。【大石克子】

Leave a comment

Your email address will not be published. Required fields are marked *