今年の元日、つまづいて転んだ。その所為かどうか、当たり年だった。
 何もない年などないが、今年は特に枚挙にいとまがない。東日本大震災発生後は募金活動に立ったが、そのことから派生したことも多々。その最中に、伯父の不幸もあった。一つの出来事が後からの出来事に繋がって、新たな出会いや人とのつながりがあった。出会いがあって、別れがあって、別れの後に新たな出会いが…と、その連鎖にご縁を思った。
 募金活動で出会ったマラソンランナーの縁で、ニューヨークまで出かけた。お陰で会いたいと思っていた友人にも会えた。彼岸の墓参り帰国では思いがけないことがたくさんあった。かつての同僚に再会できた。孫の子守をする彼女の表情が柔和で安心した。連れ合いを亡くしたとき、中学生だった息子が立派な住職になり、お父さんになったのがわかった。まさしく仏縁を頂いた。
 被災地からボランティアに来ていた彼女と郡山で再会した。その時のことを聞きたがった友人が急逝した。突然のことに驚いたが、彼女が再渡米するなど慌ただしくもあった。
 被災地の混沌と復興も目にした。被災者の生活は、先が不透明ながらも前に進もうという意欲が感じられた。しかし、寒さに対する耐性がある地域とはいえ、暖房完備の最新の生活に慣れていると厳しい冬になるだろうと心配される。
 日本に帰国した友人に会える時間的余裕がないと思っていたが、ちょうど半日空いた日が子供の運動会だった。鎌倉に出かけて一時楽しんだ。頼まれたお守りを買いに鶴岡八幡宮に詣でたとき、神奈川県立近代美術館を思い出しわずかな時間、夭逝の画家松本竣介の「立てる像」に再会できた。
 足指に力を込めてすっくと立った姿の凛々しさを思い出す時、背筋が伸びる思いがする。戦時にも体制におもねず、時世の先をしっかり見据えているような目がいい。あのがむしゃらではない力強さが今一番大事なのだと思わせられた。彼も人生の半分を被災県、岩手で過ごした。
 誰もが気持ちを掛け合い、人と繋がった年ではなかったかと思う。たくさんのご縁をいただいた。【大石克子】

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