日本語、やまと言葉は美しい。日本人だからにしても実に味わい深く美しい言語ではないか。
 そもそも言の葉といい、ことだま(言霊)と精神性を宿す表現からして感じ入る。古代から現代への言葉の変遷も優雅だ。
 近年日本語へのいとおしさが増している自分を感じる。年齢のせいか滞米が長くなった反動か。若い時、日本にいて日本的なものは空気と水のように当り前で有難みを感じず、好奇心に遠心力が働き異国の文化に刺激を受けた。外に出てみたい、触れたいと思った。米国に長く住み、諸国も旅行し、異文化を見て複眼が出来た。複眼で日本を見返すと長短の個性と豊富な魅力に気付く。
 言葉は文化の土台であり文化そのもの、それ以上に文化の魂といえるのではないか。今までに外国語は英語をはじめ仏、西、中と学ぶ機会があった。今も学ぶのは嫌いではないが自分の残り時間を考えると身体に沁みこみ自在に駆使、玩味できる日本語を磨き味わうほうが喜び深く、自分の生に意義があると感じる。若い時の遠心力に対し求心力が働く。
 日本語の特性として特に情緒性、文学性に秀でているようだ。西欧言語に比べて文法の理論性や厳格性はゆるく、学術論文や議論などには比較的不向きかもしれない。日本語は主語や目的語を省いてもよいなど許容性が情緒、余韻、奥行き、幽玄などを生み、文学、詩歌には向いている。
 一方、西欧言語や中華語にみられない私「が」や私「は」の助詞の一字が微妙な差を生み日本語に独特の繊細さを与える。日本人の性格の細やかさを生む要素になっているのではないか。
 そんな前おきで今後「好きな日本語」「好きでない日本語」について書いてみたい。もちろん好き嫌いは主観ゆえ独断と偏見の文であり人と議論するものでない。
 では好きな日本語のまず一つ。「お」と「さん」で挟む言葉の味わい、温かみが好きだ。外国語に例が見つけられない。お父さん、お母さん、お兄さん、お遍路さん、お巡りさん、お疲れさん。いいな。
 日本語は日本人だけが持つ貴重な文化遺産。大切に継承したい。【半田俊夫】

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