米国からの支援に感謝し、現状を報告する国際交流課の千葉課長(スクリーンの右)

 東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県から代表者5人が加州を訪れ、小東京で22日、被災地の現状報告会を行った。代表者らは、ロサンゼルスおよび米国から贈られた多大な支援に感謝するとともに、復興状況を説明、宮城県への観光を呼びかけた。【中村良子、写真も】

 

南加宮城県人会の創立110周年を祝し、村井知事からの記念品を米澤会長に贈呈する河端部長(右)

 ロサンゼルスを訪れたのは、宮城県経済商工観光部の河端章好部長、国際経済交流課の千葉章課長、観光課の柳澤宏課長補佐、国際交流第二班の千葉歩主任主査、通訳を務めた国際交流員の鈴木タケノさんの5人。一行は21日にサンフランシスコ入りし、桜祭りに参加。同地でも支援に対する感謝を伝えるとともに、出展したブースで宮城県の地酒などを紹介した。
 小東京の報告会であいさつに立った河端部長は、「一瞬にして大切なものを失い、県民が希望を失っていた中、南加宮城県人会をはじめ、米国日系社会などから心温まる支援を受け、県民は復興に向け一つにまとまることができた」と、英語で感謝の言葉を述べ、自然豊かで海産物が豊富な宮城県をぜひ訪れてほしいと呼びかけた。
 続いて千葉課長が震災の概要と復興状況を説明。津波の高さは県庁の調べで最大21・6メートル、局地的には30メートル以上に達したとの報道もあったと報告。死者は3月28日現在1万149人、行方不明者は1629人に上り、全国の被害者の約6割にあたるという。住宅の被害状況は、全壊・半壊合わせ20万軒。地震発生直後は最大で32万人が避難生活を強いられたが、その後仮設住宅の建設が進み、昨年12月30日に県内すべての避難所が閉鎖された。
 津波により、県内142すべての漁港が被災し、全漁船の9割が大きな被害を受けた。海岸沿いの農地では、県内の耕地面積の約10%にあたる1万4000ヘクタールが被害を受け、土壌に残された塩分の除去作業が今後の課題という。
 また、世界の多くの国から物資や義援金など支援を得たことも報告。中でも、15万6000人を投じ、行方不明者の捜索や復興支援を展開した米軍による「トモダチ作戦」の活躍に感謝。壊滅的な被害を受けた仙台空港が約1カ月で一部再開できたのは、米軍のおかげと礼を述べた。
 昨年10月に作成した宮城県の震災復興計画では、震災後3年間を復旧期、次の4年間を再生期、最後の3年間を発展期に区分。単なる復旧にとどまるのではなく、10年先の宮城県の姿を見据えた地域作りが重要とした。震災による県内の被害総額は、9兆873億円に上った。
 現在は、被災者の心のケアなどにも力を入れており、今後の課題として、被災者の生活の安定のため雇用確保に力を入れていくという。
 千葉課長は最後に、米国の日系社会をはじめ、世界各国の支援にあらためて感謝の言葉を述べるとともに、被災者が一番恐れていることとして震災の風化を挙げ、「震災のことを引き続き心にとどめていただきたい」と述べた。
参加者に宮城県の特産物を振る舞う観光課の柳澤課長補佐(左)

 第二部は、観光課の柳澤課長補佐が宮城県の魅力を披露。沿岸部の路線を除き、在来線や東北新幹線、仙台空港は全面復旧し、各地からのアクセスが可能になったと報告。また、福島第一原発事故の影響は、身体に悪影響を及ぼすレベルには達しておらず、食品の放射能測定も行っていると説明した。
 仙台市内の観光地はすべて平常通りに戻っており、日本三景の一つである松島、市内の温泉なども営業を再開。壊滅的な被害を受けた沿岸部も、観光客の受け入れを徐々に開始しているという。
 最後に、「皆さまに宮城へおいでいただくことも、復興への大きな力になるものと信じております」と、村井嘉浩知事からのメッセージを読み上げ、参加者らに宮城県の地酒や漬物などを振る舞い、観光復興をアピールした。
 小東京での報告会は、今年創立110周年を迎えた南加宮城県人会の協力を得て実現。同会は震災の翌日からいち早く義援金集めを開始し、南加をはじめ、遠くはニュージャージー州、ケンタッキー州、テキサス州、ワシントン州などからも義援金や励ましの手紙が届いた。県庁に送金した総額は13万ドルに上り、近日中に新たに1万ドルを寄付する予定という。
 宮城県のホームページは—
www.pref.miyagi.jp/

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