勉強嫌いだったせいか成績もぱっとせず、学校という所は野球部の練習をしに行く魅力しか感じていなかったのが私の中学、高校生活でした。
 その私が大学に行くために予備校に通い出し、衝撃的だったのが小論文の先生でした。先生というのは権威の塊くらいにしか思っていなかった若い私に、文学とはなんぞやということを自由奔放に話し、自ら学ぶ学問の面白さを気づかせてくれました。それから国語にはまり、大学に入ってからは言語学に夢中になりました。そこで出会ったのが吉本隆明氏でした。
 神田川沿いの風呂もトイレもない小さなアパートで質素な生活をするのにも精一杯だったにも関わらず、吉本氏の本を購入することには惜しみませんでした。ですが、彼の文章は大変難解だったのです。何度読んでもよく理解できませんでした。もしかしたら難しい本を読んでいるという優越感だけが、自分をそちら方面に引き連れていったのかもしれません。
 彼は思想家と呼ばれた人でしたが、彼が発表した「言語にとって美とは何か」や「共同幻想論」を読んで、言語や人間の営みの発生メカニズムを感じたものでした。
 結局生活に必要なアルバイトも止めて、本をむさぼり読んで、卒業論文を一年近くかけて書き上げました。恥ずかしいことに、これを今、自分で読んでも何が書いてあるかよくわかりません。これを当時日本でも著名な言語学者であった外間守善教授に提出できたのは、若かったからでしょう。
 外間教授は書いた者が理解していない文章をどのように読み取ってくれたのか、器が大きかったのか、非常に良い点数をつけてくれ、私に大学院へ進むように勧めてくれました。結局進学することはありませんでしたが、言語学を通じ、今につながる、ゆらぐことのない自立した思想を伝えてくれたのが吉本隆明氏でした。
 彼は亡くなりましたが、思想は次世代に語り継がれ、層を厚くしてさらに語り継がれるでしょう。【朝倉巨瑞】

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