JANMの最高名誉勲章を贈られ、謝辞を述べるミネタ氏
JANMのキムラ館長から祝福されるミネタ氏(右から2人目)

 全米日系人博物館(JANM)は5日、運営資金集めのイベントとして、オークションと日系社会の発展に貢献した人を表彰するゲイラディナーをLAライブのJWマリオットホテルで催した。
 KTLAのアンカー、フランク・バックリーさん司会の下、約1100人が集まった今年のゲイラディナーでは、日系社会や日本社会、また世界の一般市民に、忘れ去られた米国日系社会の貴重な歴史を伝え広めることに尽力、貢献した人物の紹介をメインテーマに、元連邦運輸長官のノーマン・良雄・ミネタ氏に同館の最高名誉勲章が贈呈された。
 サンノゼに生まれたミネタ氏は、第二次大戦中にワイオミング州のハートマウンテン収容所に収容される。その後カリフォルニア大学バークレー校のビジネススクールを卒業し、陸軍に入隊。日本や韓国で情報将校を務めた。
 父親が営む保険会社での勤務を経て、1967年にサンノゼ市議会議員、71年に同市長、75年から20年間にわたり下院議員を務めた後、アジア系として初の閣僚入りを果たした。2000年はクリントン政権下で連邦商務長官を、また01年にはブッシュ政権下で連邦運輸長官をそれぞれ務めた。
 01年9月11日に発生した同時テロでは、米国史上初となる全民間航空機の緊急着陸を命令。また日系人として収容所に送られた自身の経験から、中東系やムスリム系に対する人種選別に反対し、各航空会社に同行為を禁ずる内容の書簡を送った。
 今年1月に新たに就任したJANMのグレッグ・キムラ館長、同評議会議員の1人ゴードン・ヤマテ氏、そしてミネタ氏の人生の先輩ヨシ・ウチダ氏から記念品を渡されたミネタ氏は、「この名誉ある賞は、われわれをここまで導いてくれた人の代わりにいただく」と謙遜。自身の人生を振り返り、「子供のころには想像もつかなかった」と述べるとともに、自分というもっとも重要な一部を作り上げたのは、紛れもなくこの日系社会であると述べ、「今夜の賛辞は、私にとって大きな意味がある」と感謝した。
 ミネタ氏には、ジョージ・W・ブッシュ前大統領をはじめ、ダニエル・イノウエ連邦上院議員、アイリーン・ヒラノ・イノウエ夫人、俳優の渡辺謙さんらから祝福のビデオメッセージが届いた。
 今年の晩餐会のテーマである「Transforming a Forgotten Story」をもとに会場では、忘れ去られた日系史を世にあらためて伝え広めた人々も称賛された。

「マンザナールよさらば」の著者ヒューストンさん(左)とコーティー監督

 そのうちの1人、ジーン・ワカツキ・ヒューストンさんは、夫の故ジェームスさんとともに自身の収容所体験をもとに「マンザナールよさらば」(Farewell to Manzanar)を1973年に執筆。歴史の教材として学校でも活用され、のちに映画化され、76年にNBCで放送された。
 映画を製作したジョン・コーティー監督とともにこの日ゲイラに出席したヒューストンさんは、74年にテレビで放映された奴隷制度、南北戦争、奴隷解放などを歩んだ黒人女性の映画「ジェーン・ピットマンの生涯」(The Autobiography of Miss Jane Pittman)を見たのを機に、自身が執筆した本をコーティー監督へ送付したことなどに触れ、映画作成までの経緯をともに振り返った。
 また、同時テロから10年を記念しNHKがミネタ氏の活躍を中心に製作したドキュメンタリー「渡辺謙アメリカを行く~911テロに立ち向かった日系人」や、フジサンケイ・コミュニケーションズ・インターナショナル社製作の「アメリカを守った男~日系人議員ノーマン・ミネタの80年史」などが上映され、日本国内の日系史周知に大きく貢献したと称賛した。
 スポンサーを代表しあいさつに立ったユニオンバンクの岡昌志CEOは、1953年にロサンゼルスオフィスをオープンさせた際、連邦規制などにより経営の困難を強いられたが、「ライスキング」として知られる福島県出身の故国府田敬三郎氏をはじめとする著名な日系人が協力してくれたことに触れ、「彼らの助けなしには今のわれわれはない」と感謝した。
 以来、多くの日系人が理事として同行に貴重なアドバイスや支援を与えてくれたと話し、最初の諮問委員の1人であったミネタ氏にあらためて謝意を述べると、「将来われわれがどれだけ大きく成長しようとも、日系社会から受けた恩は決して忘れない」と締めくくった。【中村良子、写真も】

ジョージ・タケイさんによるミュージカル「アレジアンス」から、「我慢」を歌うエリカ・マリコ・オルセンさんとポール・ナカウチさん