「今、畑から取ってきたばかり。おいしいよ。持って行きなさい」
立派なきゅうりやなすが並んでいる。彼は一回りもふたまわりも小さくなったが、目の奥は相変らず笑って光っている。
かつての企業戦士は会社を引っ張っていたあの情熱で、今は野菜作りのノウハウを教えて下さる。ラグナウッズ市でのことである。
ここは13年前にラグナヒルズ市のレジャーワールドから独立して市になった。人口1万6000強。平均年齢78歳。1967年から2095エーカーの敷地に建築が始まり、今では全米西海岸最大の引退者コミュニティーである。組織も施設もしっかりしている。
中に入るゲートは14門。住人の87%がコケイジャン。アジア系は10%。ここを最後の棲家とする日本人が増えてきた。今は総勢130人くらいだろうか。駐在員は以前は引退後は日本に帰ることが多かったが、近年、アメリカにとどまる方も増えてきた。野菜を下さった彼もここに骨を埋める覚悟をした一人だ。
若い頃は誠心誠意仕事に打ち込み、世界を相手に日本の発展のために全力を尽くされた。一人ひとりの方々の努力が、類まれな日本の躍進を支えてきた。日本人の優秀さ、勤勉さ、正直さを世界に印象付けた。その役割を果たした方々が今、老齢を迎えている。
容赦のない体力の衰え。避けて通れない病気。もう、走れない。しかし、今の体力で出来ることを探している。日本人会を作り仲間の老後に役立つセミナーを催す。数々のアクティビティーに参加する。その合間に野菜を作る。研究熱心の上、創意工夫はおてのもの。かつての颯爽たる企業戦士は今はゴルフカートで畑に日参する。日に焼けた笑顔がはじける。
こういう先輩たちはこれからの行く先がどうなってゆき、その道をどう歩けば老後も捨てたものではない事を示して下さっている。
歩調はゆっくりになった。しかし、歩いている。さすがは日本の古武士である。泣き言を言わず、黙って、自分のできることをし続ける。目前の彼の野菜は青い生気を放っている。さぞかしうまかろう。「いただきます」【萩野千鶴子】