昨年、日本のテレビドラマの主題歌でもあった「マルマルモリモリ」という歌がヒットしていた。二人の子役のキャラクターによるところも多かったようだが、「マルマルモリモリ」とか、「ダバデュア、ダバジャバ」など、意味不明な呪文じみた歌詞に魅入られた人も多かったのではないだろうか。最近はやりのマンガの表現にも、「ぐわーん」、「ドカーン」、「ヒュルヒュル」、「ギャー」などの文字が飛び交うのを見かける。このような擬音語、擬声語、擬態語のことを総称し「オノマトペ」と呼び、この言葉はフランス語に由来するという。
日本語にはこの種の表現は多く、「ざあざあ」、「もじもじ」、「いらいら」といった表現方法などがそうだ。NHKの教育番組では「オノマトペのうた」というタイトルの歌まで紹介されている。
先日、レンタル・ショップで借りた日本のテレビ番組(ほんまでっかTV)で、会社の上司が部下へ指示するとき、オノマトペを利用した表現が効果的で、例えば「君、この仕事を急いでやってくれ」という代わりに「君、この仕事をササーッとやってくれ」といったほうが効果的だといっている専門家がいた。
日本語にはオノマトペは数千あるともいわれ、世界の言語の中でも際立って豊富なのだそうだ。一説には日本人は欧米人などと違って、本来なら論理をつかさどる左脳でも自然の音などを普通の言葉に置き換えて処理するからだ、ともいわれている。たとえば欧米人は小川のせせらぎや、風鈴の音を右脳で単なる雑音として処理するが、日本人は左脳を使い、小川は「さらさら」、風鈴は「ちりんちりん」というオノマトペで処理するのだ。
日本語にオノマトペが多い理由のもうひとつの側面として、日本語の情緒的、非論理的性格も影響しているように思う。
日本語はあいまい表現や情緒が先行する傾向があり、そこで「さらさら」、「そよそよ」などというオノマトペによって情緒や感性の色づけをしているのだろう。オノマトペの使いすぎは文章の品格を下げることにもなりかねないが、適切な使用は美しい日本語にとって重要だと私は思っている。【河合将介】