ブータンの国王が提唱した「国民総幸福量」(GNH)。社会全体の幸福を最大限実現することを国家目標に、精神面での豊かさを数値化したものだ。
「あなたは幸せか」という質問にブータンの人たちの45・1%は「非常に幸せ」と答え、51・6%が「幸せ」と回答している。
因みにブータン人の一人当たりの国民総所得(GDP)額は2020ドルだ。アメリカ(4万7240ドル)の4・27%にすぎない。
「幸福」イコール「カネ」ではないのだ。
中野考次は、30年も前に「幸福という目に見えぬものを図るのは、心というこれまた目に見えぬ尺度だ」(「清貧の生活」)と指摘している。
東洋だけではない。西洋からも同じ「幸福論」が出ている。
イギリスのロバート・スキデルスキー卿父子の近著「How Much Is Enough?: Money and the Good Life」だ。
父子が「跳躍板」にしたのは、ジョン・M・ケインズが1930年に上梓した「Economic Possibilities for Our Grandchildren」。
ケインズは、世界戦争とか急激な人口増加がない限り、経済的な諸問題は解決され、「Economic Bliss」(経済的に至福な社会)が到来すると予言した。
父子は、イギリス人を対象に1973年から2009年までの「GDP」と「幸福度」について聴取。
その結果、GDPが継続して上昇しているにもかかわらず、73年を100とした「幸福度」はほとんど変化していないことを掴んだ。
「ケインズが間違えたのは、『幸福』とは欲望を満たせばいいというのではなく、目標を定め、真の目標へと導くものだという視点を見逃していたからだ」
スキデルスキー父子は「幸せ」とは、
①健康であること
②生活環境が安全なこと
③人に馬鹿にされないこと
④人としての存在を認めてもらっていること
⑤自然と余暇とを調和できること—と言い切る。
「カネ」だけでは買えないものばかりだ。【高濱 賛】