(左から)ペリー市議、息子のライアンさん、夫ジョールさん、ウイザー市議らによって小東京で公開されたフランシス橋本プラザのサイン

 

11月4日に亡くなったフランシス・橋本さん

 ロサンゼルス・ダウンタウンにある小東京の中心部、2街とアズサ通りの広場に15日、「フランシス・橋本プラザ」が誕生した。今月4日に享年69で死去した老舗和洋菓子店「三河屋」社長で、日系社会活動家橋本さんの名前とともに、同氏のコミュニティーを思う「心」が、小東京に永遠に刻まれた。
 「リーダーシップ」「伝統」「社会奉仕」「小東京への貢献」―。橋本さんの69年間の人生が刻まれたサインが、夫ジョール・フリードマンさん、息子のライアンさん、ジャン・ペリー市議、ホゼ・ウイザー市議らによって公開されると、集まった100人を超える参加者から大きな拍手が沸き起こった。
 小東京実業者組合(LTBA)や小東京向上ディストリクト(LTBID)で橋本さんと長年にわたり一緒に働いてきたLTBAのウィルソン・リュー会長司会の下、金光教ガーデナ教会の埋ノ江信治師による神道の儀式が執り行われた。
 橋本さんとは25年来の親友で、市議会で同広場に橋本さんの名前を命名する提案をしたペリー市議は、「ビジネスウーマンであり、活動家であり、革新者である前に、彼女はみんなにとって真の友だった。彼女が今日この場にいないことがとても悲しい」と述べ、「ここにいたら、きっと大喜びしていたでしょう」と亡き親友を偲んだ。

橋本プラザとジャパニーズ・ビレッジプラザを見下ろせる位置に掲げられたサイン

 小東京を管轄区に含む第14区のウイザー市議は、「友人と日本を訪れていた際、名古屋で偶然、ロサンゼルス姉妹都市イベントを運営していた橋本さんに出会いよくしてもらった」と振り返り、「彼女の行動力は、小東京の成長に大きく起因している」とたたえた。
 2カ月前当地に赴任した日本総領事館の須賀正広首席領事は、「橋本さんに知り合えなかったことは残念だが、彼女の功績は日系社会に限らず、ロサンゼルス市に残されている」とし、「もちアイスクリーム同様、このプラザは橋本さんからの永遠なるギフトである」と述べた。
 最後にあいさつに立った夫ジョールさんは、集まった人に感謝の言葉を述べるとともに、橋本さんが過去4年間にわたり病を患っており、3回の手術、化学療法に耐えながらも、常に小東京のために働き続けたことに触れ、「体調が悪くても、彼女は決して弱音を吐くことはなかった。それがフランシス」と亡き妻に思いを馳せた。
 ジョールさんによると、橋本さんの体調は一時厳しい状態だったが、ここ数カ月でよくなる兆しが見られたため、本人の参加を見込んで当初予定されていた10月の式典を大安である今月15日に延期したと述べ、「それが叶わず本当に残念だが、これだけは知っておいてほしい。フランシスはここにいる全員のことを心から思い、心から愛している」と涙した。
 橋本さんのサインは、セレモニーのために一時的に2街中央にある横断歩道の真横に掲げられたが、現在は橋本プラザとジャパニーズ・ビレッジプラザを見下ろせる横断歩道上に設置されている。
【中村良子、写真も】

LTBAのウィルソン・リュー会長司会の下、フランシス橋本プラザで行われたセレモニー

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