料理を堪能した参加者の拍手に両手を挙げて応える坂井(左)、ウッドの両シェフ ©南加日米協会
 フジテレビがかつて放映した料理人対決番組「料理の鉄人」に出演し好成績を収めたフレンチシェフ、坂井宏行さんが南加日米協会(ダグ・アーバー会長)の招きで来米し8日、センチュリーシティーのホテル「インターコンチネンタル・ロサンゼルス」で同協会主催のファンドレイズ・ディナー「料理の鉄人―坂井ライブ」に参加し、約230人に腕を振るった。【永田 潤】
 同ホテルの総料理長を務めるのは、33歳の若さで抜擢されたジョナサン・ウッドさん。坂井さんとウッドさんがメニューを考案し、他の6人の腕利きとともに6品のコースを振る舞った。
鉄人が料理した神戸牛のステーキ ©南加日米協会
 ディナー前に両シェフが揃って舞台に登場し、あいさつした。ウッドさんは、十数年前のニューヨークの調理師専門学校時代に非常勤講師として招かれた坂井さんから教わったことがある。今回は仕込みから2日間ともにし「憧れのサカイさんと同じ調理場で料理を作ることができるなんて信じられない。とても光栄で幸せ」と感激した面持ちで語った。坂井さんは「教え子」のウッズさんについて「僕が教えた生徒が、成長してこんなに立派になって驚いている。そして今日は、2人でみなさんに料理を出せたことがとてもうれしい」と喜んだ。
 同番組は「アイアンシェフ」として全米で放映されていただけに、坂井さんの知名度は抜群。同ディナーは対戦ではないが、会場では番組のテーマソングを流し厨房の様子を実況生中継したり、室内の照明を突然明るくしてサーブしたりするなど、テレビ番組さながらのさまざまな凝った演出で客を喜ばせた。
 腕前を披露する鉄人の勇姿が、大きなスクリーンに映し出される度に歓声が沸き起こった。鉄人は料理の素材や作り方について説明し、客の質問にもていねいに答えた。メニューには神戸牛を竹の皮で包んでスモーク風に香り付けするなど和の要素も取り入れ、多くの舌の肥えた客を「おいしーい」と唸らせた。
 カリスマシェフは「最後のデザートを出して、ホッとした。みなさんに喜んでいただいて、アメリカまで来た甲斐があった」と話した。イベント後は、写真撮影やサインのリクエストに気さくに応えるなどサービスに努めた。
 アーバー会長は、同イベントについて「このディナーショーは、最も楽しく、記憶に残るエンターテインメントだったに違いない。参加者みんなが『一生涯に1度』の体験ができてよかった」と述べた。

全米日系人博物館を見学
収容体験など日系史学ぶ

 坂井さんは6日には、全米日系人博物館に立ち寄り、第2次世界大戦時の強制収容など日系史を学んだ。博

坂井さん(左)からユニホームを贈られたキムラ「シェフ」
物館では常設展を見学した。排斥運動や第2次大戦など苦難の道を歩んだ日系史を知った。復元された強制収容所のバラックやマンザナー収容所の模型を興味深くじっくり観察し「強制収容については知っていたが、知らないことが多過ぎて恥ずかしい思いをした。収容者が10万人以上もいたとは知らなかった。勉強になった」と話した。
 見学後は、キムラ館長や博物館支援者らとハワイ風の料理を食べて交流を深めた。坂井さんは自分の店のロゴ入りのユニホームを館長にサインを入れてプレゼントし「料理を通して博物館と何かをやりたい。機会を作って呼んで下さい」とコラボレーションを希望した。支援を約束された館長は坂井さんの来館を光栄とし「サカイさんは、われわれの活動に理解を示してくれてとてもうれしい。何かイベントを企画して、手伝ってもらうことを楽しみにしている」と述べた。
 今回の坂井さんの訪米は、日系など数社が支援し実現した。メインスポンサーのニットータイヤの水谷友重社長は、同社が米国で収めたビジネスの成功を「寛容な米国社会が、受け入れてくれてくれたから」と説明。日系社会については「繁栄の礎を築いた1世、2世を忘れるべきでない」と力を込め、これら先達の業績が同社の諸団体に対するさまざまな支援の動機となっていると話した。
全米日系人博物館の見学で、キムラ館長(中央)の説明を聴く坂井さん(左)。右は水谷・ニットータイヤ社長

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