「若」いという字は、「苦」いという字に似ています。知られた例えですが、私たちは成長へのプロセスを踏む若かりし時に、必ずと言ってよいほど苦い経験を味わうものです。
若いというのは年齢だけではなく、経験や知識が未熟である場合も同じことです。それは成熟の過程で味わう苦い思いの中に、成長への種を自ら噛むからです。つまり苦い経験をすることは避けるべきものではなく、若いことの象徴であるということです。人間として成長するための喜ぶべき体験なのです。
若さゆえに自分のエゴがむきだしになるとき、私たちは叱られるものです。自分が周りの人々に信用をされ、学び、感謝するときに、人間は大きく成長していくものです。
国も同じです。いまだ未熟な国は自分のエゴを貫き通そうとします。成熟した国からすれば、若さの至りであるといえます。ただ、それを非難するのではなく、成長の過程で通る道だと思えば、温かな目で相手を導くことができるはずです。苦いことは悪いことではなく、若いことだからです。
歩くという字は、止まるが少ないと書きます。決して走らなくてよいのです。止まらずに歩いてください。生き続ける限り歩み続ける意味があるのは、成長することが人間の本能だからです。だからこそ自分の生まれた国を出て、世界から自分の位置を見て体験し続けることは、とても貴重な財産です。自分がいかに恵まれ、守られ、尊重されているかということに気づくことこそが、心の裕福につながります。
まずしい心を裕福な心で満たすには、歩み続け成長し続けることなのだと思います。知識だけでは埋まらないのです。行動が必要です。まずしい心をそのままにしてはいけません。見て、聞いて、体験して、苦い思いをすることが、世界を知ることにつながるのではないでしょうか。世界を知るために多くの先人が前を歩いてくれました。経験から間違った方向を教えてくれます。
その先人の付けてくれた足跡をゆっくりとかみしめて歩み続けることで、あなたの次の世代がまたさらに歩きやすい道をつくることになります。【朝倉巨瑞】