お盆が近づいてきた。7月になると、お盆供養・カーニバルとお寺の行事が毎週続く。本格的な夏の到来、という気分になる。
この頃になると、ちょっと前、ずっと前に鬼籍に入った方々を思い出す。その人たちを思うとき、その昔の人のことがさらに思われる。それで、ふと手にした鷲津尺魔の1930年刊「在米日本人史観」の「諸業元祖しらべ」に目が行った。これは、羅府新報に連載されたものらしいが、とても興味深くおもしろい。
移民が辿ったとおり、ハワイやサンフランシスコを起源とするものが多いが、ロサンゼルスもある。ただ、現存しないものや、住所が一致しないものが多い中で、菓子屋の元祖は桑港と羅府の2カ所が紹介されていて、羅府は風月堂だった。
今頃の風月堂は、「饅頭屋はどこですか?」「餅屋は?」とアメリカ人も探してくる和菓子屋だが、「鬼頭が菓子屋を開業した頃の羅府は未だ今日の如き大都市でなく日本人の数も多からず、店売りだけでは生活が立たないので製造せる蒸菓子を担いで各戸を売り歩いた。其苦心は今日の人の想像の外であった(抜粋)」と記されている。明治36年(1903年)から110年。創始者の苦労が、代が替わっても受け継がれてきたということだろう。
2年前の東日本大震災の支援活動は今も続けられているが、1923年の関東大震災でも、1906年のサンフランシスコ地震の被災に対していち早い援助が届いたことに報いようと、全米を挙げて募金活動が行われ、ハワイでは3週間で30万ドル以上が集まったという。当時は、邦字新聞が先頭に立って世論を喚起したという。これは、元祖しらべによるものではないが、尺魔の娘婿がハワイの邦字新聞の特派員だった関係で知り得たことで、尺魔の縁と救援活動の歴史を感じて記した。
始まりの人たちがいて、そこからどう発展していって、あるいは変化し、終わることもあるが、それが今日にどうつながって、と考えていくと、生かされている身の上がありがたく感じられる。家のような日系社会があって、その祖先をお祭りする季節だということだろう。【大石克子】