今年も追われるように時を過ごし、残りあとわずかとなった。たくさんのご縁をいただいたいい年だった。
 人と人の触れあいは、袖すりあっただけの出会いで終わることもあるし、それ以上の関係になることもある。それは、何によって決められるのか、不思議としか言いようがない。新たな出会いがあって、別れがある。別れの時まで、精一杯寄り添うだけのことだ。しかし、精一杯の密度は、年齢や体力で変わるのは仕方がないと思っている。
 新たな出会いがあって、別れがあった。細い線のような付き合いが、太い線になった。思いがけない再会があって、見知らぬ土地を訪ねて墓参りもした。そんなこんなで一年が過ぎようとしている。
 この中で、考えさせられたことは、人生の最期のこと。子どもたちに見守られて往生できる人だけではない。渡米して住み着いて、高齢になったとき、身内が誰もいない、この時に頼りになるのは人だ。病気になった時、亡くなった時を想定した手続きを取っていない。なんとかなるだろう、どうしたらいいのか分からないなどで、そのままにしていると、それがその後の境遇を左右する。
 何もしてなくても、放っておかれることはないが、悲惨と思える状況に置かれることがあることを頭に入れておかなければならない。そのときに、思いがけない助けに合い、図らずもよい方向に向かうご縁をいただくことがある。制度や法律はどうにもならないが、人や目に見えない力で回ることもある。
 親兄弟と離れて暮らす身としては、誰かの役に立つ機会を得られると、親にしてやれないことの埋め合わせのような気持ちにもなる。その機会をいただくご縁に、ただただ感謝である。そして、労を厭わず汚れ仕事を手伝おうとする若者に出会ったことも、新鮮な感動だった。20代、30代はいいじゃないか! と思った。未来に期待が持てる気がした。
 時に疲れを感じる日常の中で、気持ちがいいことを見せられ、今日もまたご縁に生かされたと思わせられる。厳しい覚悟を迫られる状況でも、安らぐ一時を得られ、1年を過ごさせていただく幸せをありがたいと思う。【大石克子】

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