年末を迎え、各地で恒例の歳末助け合い運動が始まっているが、一年を通じて助け合いの精神が生きているのが慈善と互助とボランティアの先進国であるここアメリカといえよう。
ビジネスから退いて16年、私はロサンゼルス郊外で引退生活をエンジョイしている。間もなく喜寿にも手の届く年齢に加え、一昨年の消化器系がん手術や腎臓障害による4年にわたる透析治療のためか、最近の私は体力の減少が著しく、外見からも弱者に見られるようだ。
私は週に一度、当地の会員制マーケットへ妻のお供で買い物に出かけている。調理用の飲料水も購入しているが、2ガロン入りのプラスチック容器が2個入った重量約8キロの段ボールをカートに積んだり、購入後駐車場で車に積み替えたりがひと苦労だ。店内では妻と二人でこの水容器の段ボールを持ち上げる様子が痛々しく見えるのか、店員だけでなく、時折、通りかかった買い物客までが「Can I help you ?」といって気さくに商品置き場から買い物カートへの積み込みの手助けをしてくれ、私たちもこの親切に感謝し、甘えている。
一般にアメリカといえば 「個人主義」といった言葉がすぐ浮かび、この言葉からは他人に対する親切、思いやりという発想はでてこないが、そんなことはない。特に、こちらが身障者、老齢など弱い立場にある場合、積極的にヘルプを申し出てくれ、それもわざとらしくなく自然体だ。これら弱者に対する博愛精神は子どもの頃から教会などで躾けられているのだろうか。私たち日本人は他人を思いやる気持ちは十分あっても「出しゃばりで余計なお世話」と思われないかと、積極的に手を出すことに躊躇することが多いような気がする。
ただし、当地でのこれら親切心はこちらが弱い立場にある、という条件付で、また、お互いの利害が絡まっている場合も話は別となり、自分にとって不利の場合は訴訟も辞さず、徹底的に争う態度を示すことがしばしばで、気をつけないといけない。とはいえ、私たち夫婦はこちらの人の「小さな親切」に甘え、毎日を感謝しながら過ごしている。【河合将介】