アメリカの歴史の負の遺産の部分に正面から取り組んだ力作、「Twelve Years A Slave」(邦題「それでも夜は明ける」)が今年のアカデミー賞最優秀作品賞に選ばれた。東部で自由人として生活していた黒人が騙されて誘拐され、南部に奴隷として送られ、12年間プランテーションで重労働を課せられた実話の映画化だ。
奴隷といえば、ジャマイカなど旧英領カリブ海諸国14カ国と1地域で構成されるカリブ共同体(カリコム)がイギリス、フランス、オランダを相手どり16世紀から18世紀にわたって行われた奴隷貿易・人身売買について公式謝罪・補償せよと言い出している。
3月のカリコム首脳会議では、10項目の要求項目を採択、4月中に三カ国に申し入れる。拒否すれば国際司法裁判所に提訴するという。
数世紀も昔の責任を問う話だけに名指しされた国も唖然としている。ただ歴史学者は「賠償するということは、そうした行為が国際的に違法であったことに対してのみに生じるもので、当時奴隷貿易は国際法では違法ではなかった」(オックスフォード大学のR・オキーフ教授)と謝罪・補償については懐疑的だ。
数年前、ドミニカ共和国に行ったことがある。1492年、クリストファー・コロンブスが「新発見」したイスパニョーラ島の三分の二を占める国だ。毎年、「発見者」を讃える行事が催されているが、近年これに反対するデモ集会も行われている。コロンブスが「新発見」する前から島には先住民族が住んでいたし、コロンブスは欧州人として初めて島に「到達」しただけだ、というのがその理由だ。
それだけではない。コロンブスは「大探検家」「大航海者」だけではなく、「奴隷商人」だった史実が明らかになり、それに対する反発もある。
コロンブスは、雇い主だったスペインのイザベル女王から先住民を奴隷にする許可を得ていた。それをいいことに先住民を弾圧する一方で、奴隷としてスペイン本国に連行し、人身売買していたのだ。
奴隷貿易の責任はなにも英仏蘭だけにあるわけではない。その奴隷を買い、牛馬のごとくこき使っていたアメリカも同罪だろう。
【高濱 賛】