自分たちの子供時代、運動会は秋と決まっていた。田んぼの取り入れも済み農作業が一段落した時が運動会。都会でもこれは全国的な傾向だったように思う。ところが最近の運動会は季節に限らず学校ごとに分散開催されている。先週も近所のT小学校で運動会が行われた。以下はそれを見た家内の話である。
運動場はおろか学校施設も溢れんばかりの生徒と父兄でいっぱい、人人人である。「おばちゃん、見にきてくれたの? お弁当一緒に食べていってね」と知合いの子供から声をかけられたがそんな状況ではない。1000人の生徒に父兄を合わせて2,500人近くの人が集まっているのだ。お弁当の時間に自分の子供を見つけるだけでも一苦労。考えだされた方法は、子どもたちがクラスごとに運動場に集まり、親が見つけに行く。自分たちの子供時代は父兄の席に子供が駆け寄っていったものだ。
テレビで紹介された東京湾岸の豊洲地区の小学校では、急激に生徒数が増加しさまざまな工夫がなされていた。徒競走(かけっこ)ではわが子の晴れ姿をカメラに収めたいのはどの親も同じ。そのためゴール地点の正面に配置された親がカメラを構えて待ち構え、ゴールに駆け込むわが子の晴れ姿を特等席で撮影できる。レースごとに係りが手際よく次の親たちに交代させる。ダンスなどの集団演技では「見つけやすいように変わった色の長い靴下をはかせました」と望遠レンズを持った親も涙ぐましい工夫を凝らす。
一方、高齢化と都会への人口流出で過疎に悩む地域は、生徒が減って職員の方が多い学校もあり、実に多くの学校が廃校に追い込まれている。これに昭和の大合併、平成の大合併といわれる町村合併が追い打ちをかけた。廃校になった校舎は取り壊されるか他の目的に転用されるかだ。全国でさまざまな転用が行われ成功例、失敗例には事欠かない。近年では文部省の主導で廃校利用のモデルケース「廃校リニューアル50選」が紹介されている。場所によって悩みは異なるが、卒業生にとっては何年経っても懐かしいわが母校、地域にとっても中心的だった学校の存在が時代の波に翻弄されている。【若尾龍彦】