ワシントンDCに初めて出張した。ミネソタ留学時代にルームメートだったロブが住んでいるので、27年ぶりに再会できた。卒業後は何回か「元気かい?」と連絡を取り合ってはいた。懐かしかったけど、数年前にFacebook でつながっていたので不思議なぐらい違和感がなかった。
 1時間程のランチだったが、速報ニュース番組のようにお互いの人生の経緯や現状などを報告し合った。社会人になったロブは全米中仕事を転々した。一時また日本人のルームメイトがいて、彼の名前も「Masashi」だった。コメディーの自主映画を監督した。結婚して子供が3人になった。地元のDCに戻り、故ダニエル・イノウエ上院議員のスポークス・パーソンを5年間務めた。
 弾む会話の中で興味深かったのは、ロブの曾祖父はユタ州の上院議員で、戦時中や戦後、日米友好の懸け橋になった人物という。エルバート・D・トーマス(Elbert Duncan Thomas)氏だ。モルモン教の宣教師として5年間(1907~12年、明治40~大正元年)日本で過ごした。日本語を流暢に話し、日本の文化と日本人に対し深い愛着を抱いた。日本で生まれた娘はChiyoと名付けた。
 帰国後ユタ大学の政治学、歴史の教授となり、日本の文化も教えた。その後上院議員に選出された。日米関係が悪化する中、平和的解決を望んだが、日本の軍国主義への急激な傾倒を懸念した。日本通の軍務委員として、日本の皇居や京都等の歴史ある街の爆撃は阻止するよう政府に強く主張した。
 強制収容中の日系人を救おうと知恵を絞った。アメリカへの忠誠心を示すために軍隊志願者を募るアイデアに協力し、第442連隊戦闘団の結成を裏からサポートした。故イノウエ議員も一員であった。業績を称え勇敢な二世の軍人へ勲章を与える動きも議会に働きかけた。
 日本の国民感情を察し、戦後アメリカによる天皇制廃止の方針にも反対した。勤勉なる日本国民は民主主義国として再び復興し成長すると信じた。惜しくも1953(昭和28)年に死去したが、日本人の心情を深く理解し、平等で平和な社会づくりに貢献した。自分も含め、日本人はまだ知らない人が多いだろう。
 誇りを持って話すロブの顔が今でも印象的である。【長土居政史】

Leave a comment

Your email address will not be published. Required fields are marked *