東日本大震災から3年半がたつ。「奇跡の一本松」で知られるようになった被災地・岩手県陸前高田市の現状をNHKテレビで見た。昨年4月、カリフォルニア州クレセントシティに漂着した小型ボートは、同市の高田高校の実習船だった。津波に押し流されて2年かかって米本土にたどり着いた。
山と積み上げられたがれきはほぼ処理され、更地になり、防波堤工事や道路復旧、土地造成工事が本格化している。だが市内の仮設住宅には自宅を失った被災者の大半が生活している。
人口流出が加速している。震災前には2万3300人だった人口は2万人を切った。
もともと、カキやアワビ、ホタテといった養殖以外にこれといった産業はない。仕事口を求めて若者は町を離れて、都会に行ってしまう。人口の4割は65歳以上の高齢者だ。子供人口が減って小学校は統廃合されている。
陸前高田市にとって、震災からの「復興」とは、町を元どおりにすることではない。これを機会に町を創り直すことだろう。
内閣府から出向、副市長として陣頭指揮をとる久保田崇さん(38)は、テレビのインタビューで「陸前高田こそ『課題先進地』です」と言い切っていた。
日本の地方が抱える経済衰退、少子高齢化による過疎化といったもろもろの課題をこの町は全部抱えてきたのだ。その意味では陸前高田は一番先を行っている。
「この町をどう創り直すか。これがうまくいけば、日本の地方にとってモデルケースになるはずです」と久保田さん。京大を出たあとケンブリッジ大学で修士号を取得した異色の地方公務員だ。
これまで震災や戦争がもたらした状況に自らを適合させ、着実に進化、発展させてきた日本人。
英人ジャーナリスト、ディビッド・ピリング氏は「それこそが禍を転じさせて福につなげる、日本人の生存のための技(Art)なのだ」(新著「Bending Adversity」)と称賛している。陸前高田の技に期待したい。【高濱 賛】