南加日系婦人会の110周年記念祝賀会が催された。1904年の発足。日本は明治時代、日露戦争が起こった年に「羅府婦人会」として始まった。「南加婦人会同盟」「南加婦人会連盟」と改称しながら活動を続けるも、戦争で中断。49年に再発足からも65年。
 当地の各県人会で110年は、同県人の助け合い組織として早くにできたであろうと想像に難くない。女性たちが組織して日本文化啓蒙活動、慈善事業等をとおして、コミュニティーに貢献してきたことを思うと、頭が下がる。
 9月27日付羅府新報英語版に、ポートランドの「安全」が109年間の営業を閉じる記事が載った。リトル東京の「安全金物」と勘違いした、なじみ客から驚きとショックの電話が相次いだと聞いた。その直後、たまたま、ポートランドからの訪問者が「安全」の文字を見つけたと交番に立ち寄った。
 一世の時代の商売は、相手の領域を侵さないといった了解の下に成り立っていたものが、世代交代とともに、そんなことは言ってられないと変わっていった。ビジネスだから当然といえるが、日本人がまとまって生活していたものが、教育を受けた次世代が、まとまりから散っていった。日本企業進出で駐在勤務の人たちの、日系人が築いた地盤を全く無視した振る舞い、勝手と思われる行動を見せられると腹立たしいと言った、在米25年の訪問者の話が胸に残った。
 商売をするのも、お互い生き残れるように協定を結ぶような時代、日本人の仁義があった。そういう空気の中で、婦人会が発足し、活動していたのかと当時に思いを馳せた。
 先人がいたから今ここにいられる、という人でも、その歴史を知っているのではないことがある。歴史や文化を持つ日本に生まれて幸せ、という人にも同様のことがある。少し学ぼうという気持ちと、少なくとも母国のことを学んで来てほしいと思う。訪問者が憤っていたのも、この辺のことが関係しているように思った。
 世の中の動き、経済の動向も歴史から学ぶことがある。過去から今に、今が後世に繋がって、歴史として伝えられていく。そのさ中にいる自覚と、継いでいく大変さを思った。【大石克子】

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