「私はアメリカに骨を埋める気はありません。私たちの両親と貴男が無言で待っている郷里に必ず帰りますので、再会の日を静かにお待ち下さい」。先立った愛弟へこの弔辞を送ったのは、竜巻の強さを表すフジタスケールを制定しドクター・トルネードと呼ばれた故藤田哲也博士(1920~1998)。その生涯と業績を紹介する展示が先ごろ北九州市内で行われ、帰省中だった私も、会場の北九州イノベーションギャラリーを訪れた。
 博士は北九州市出身。母校明治専門学校(現九州工業大学)で教べんをとる間に原爆投下後の長崎での爆風調査や背振山頂での雷雲観測などの実績を残し、シカゴ大学に招聘されてからも、竜巻の研究や航空機墜落を引き起こすダウンバーストの解明などにあたった。
 会場には、九州工業大学に寄贈された多くの資料と機器が展示され、博士の研究室が再現されていた。数あるエピソードの中ではとりわけ、今何をしたいかと問われジェット機に乗って台風の目の中を飛びたいと答えたという話が、現場での観察を常に重視した博士を物語っていた。
 そんな展示の最後、死去を大きく伝える新聞各紙の紹介に続いて並んだ「研究はアメリカ、骨を埋めるのは郷里」との博士の思いを伝えるパネルは、実は私を驚かせた。滞米半世紀近くなっても「最後は郷里に」という男性は、私の身近にいる。が、なぜか私は、サクセスストーリーの見本のような藤田博士は別だろうと思い込んでいたのだ。
 しかし、研究・仕事をしたいばかりにアメリカまで来た人にとり、「いずれ郷里に帰る」との思いはどこまでも消えないものなのに違いない。まして、家の後継ぎと自覚して成長した人にとっては、なおさらなのだろう。
 翻って自分を考えれば、日本の両親の介護を終えた後は、子供たちが暮らすこのアメリカで老いて死にたいと思う。母親としてまだ手伝ってやりたい、落ち着くのを見届けたいと願うからだ。ふっと、女性は「産んだ子の行く末」に、男性は「郷里に帰る」ことに責任を感じるのだろうかと思わされた。
 博士は今、郷里北九州の藤田家の墓に眠っておられるという。【楠瀬明子】

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