巽さんは1920年8月、カリフォルニア州ターミナル島の漁港に隣接するイースト・サンペドロで生まれた。当時、日本人移民の漁師たちがコミュニティーを形成していた場所で、同氏は中学生まで過ごした。その後一度日本に渡り和歌山県の高校に進学、その後再びターミナル島に戻り40年にサンペドロ高校を卒業した。
第二次大戦時はマンザナーにある日系人戦時転住所へ送られた。戦後はロサンゼルス市に居住し、漁船の乗組員として働いた。56年にはロングビーチで日本食料店「オリエンタルフードマーケット」を始め、82年に売却するまでの26年間、夫人ととともに二人三脚で運営した。同店売却後は、「カリフォルニア・ライスカンパニー」の販売顧問として勤務した。
伝達式で堀之内総領事(右)より勲章と賞状を授与された巽氏
また同氏は、書道家として米国書道研究会の役員を務め、日本書道の普及に尽力。さらに南加和歌山県人会では副会長を10年間務め、日系団体での活動に熱心に取り組み、13年には総領事表彰を受けた。
伝達式には巽さんの家族をはじめ、ターミナル島民会の仲間たちが出席。堀之内総領事から勲章と表彰状が手渡されるとみなが叙勲の名誉を祝福した。同会の設立メンバーの一人である同氏は、同じ故郷で育った仲間たちとは今でも毎日のように会い交流を深めている。
野球が好きで、戦前からターミナル島の野球部に所属。遠征もしていたという。夫人とは10代の時にターミナル島で知り合い、その後ずっと生涯を共にしてきた。野球をしていた時に観戦に来ていたのが夫人だった。
戦争中はマンザナーの戦時転住所に入所するなどこれまで多くの苦労を重ねてきたが、どんな苦労よりも一番辛かったのが夫人を亡くした時だったと振り返る。「受章の知らせを聞いた時は驚いた。この喜びは亡き妻に伝えたい」と話し、94歳での受章を喜んだ。【吉田純子、写真も】