泥棒を捕まえてから縄を綯(な)うように、まだ羊を折っている。全く、羊年を迎える準備がなっていない。元日には、お正月行事がリトル東京で盛大に開催され、あの寒さの中、賑わった。その中で、かじかむ手をさすりながら折り紙をさせてもらった。
正月を迎え、誕生日を迎えてシニア料金でメトロを利用できる年になったので、バスパスを購入しに行ったら「おめでとう!」を言われてハッピー。なのに、気持ちは時間の速さに追いつけない。旧暦では、まだ12月。そんなのんきなことを考えている時に、茶道裏千家の松本宗静先生の初釜に招かれた。おごそかで、身の引き締まる気持ちでお茶をいただいた。お道具に付けられた「えびす」や「すえひろ」の御名に新年を迎えた、という緊張感が得られた。ありがたいことです。
年末から抱える屈託は解消しないが、相手がいることは自分ひとりで何とかできるものでもなし、見守るしかないと腹を決める。それでもきっと、困ったと訴えられたら、何かできないかと悩ますことだろう。それが、人とのかかわりで、生きているということだろう。
掃除をしていて、万年筆を見つけた。洗ってインクを入れたら3本は大丈夫だった。ゆっくり文字を書くことを忘れていたと思った。手書きの原稿を編集者が嫌がるようになってから、筆記用具にこだわらなくなっていた。と同時に、書くこともおざなりになる。何もかもゆっくりになっていくのだから、万年筆で遅れた年始のあいさつを書こうと思った。
目の前のことに追われて、ニュースには疎くなっているが、日本人ジャーナリストをイスラム過激派組織が拘束して、身代金を要求しているというニュースを目にした。これまでもこういう事態は何度かあったが、殺害のケースと解放されたケースがあった。身代金に日本政府がどう対応するのか、気が揉めるところだ。ただただ、無事を祈ることしかできない。年初めからテロ関連の事件が続いている。おとなしく暖かいイメージの羊だが、今年はどんな年になるのか。
折り紙の羊はかわいい。一時でも気持ちが和んでくれたらと思う。その思いで折るだけだ。【大石克子】