先月小東京で開かれた戦後70周年を記念した特別イベント「Shadows for Peace, for the Sake of the Children」を取材した。フォーラムとアート展を兼ね備えた同イベントは、核兵器廃絶と世界平和を訴える目的で催され、会場には老若男女約120人が集まった。
 フォーラムでは、米国広島長崎原爆被爆者協会のメンバーらがそれぞれ、1945年8月6日の広島、そして同年8月9日の長崎での体験を、英語で、自らの言葉で話した。
 被爆者の話を聞きながら目を閉じると、小中学校で原爆について学んだ時に見た、焼け野原と化した広島と長崎市内の映像、被爆者の痛々しい写真、6千度ともいわれる熱線で瞬時に命を奪われ、コンクリートに残った人影などが、鮮明に脳裏に浮かんでくる。しかし、周りに座るアメリカ人の多くはこの日初めて、アメリカ史で学んだ「米軍のサクセスストーリー」の裏にある、「もう一つのストーリー」を聞いた。
 被爆者が自身の体験を話しはじめると、隣の人の鼓動が聞こえるのではないかというほど、場内は静まり返った。その壮絶な話に顔をしかめる人、目頭を押さえる人、驚きで目を見開く人などの姿があった。
 イベントの冒頭で主催者が「原爆投下の是非を問うものではなく、世界平和を訴えるためのイベント」と強調するように、来場者は被爆者の体験談から核兵器が人に及ぼす恐ろしさ、戦争がもたらす惨劇をあらためて学び、二度と繰り返さないために自分に何ができるのかを見つめ直す機会となった。
 イベント終了後、私が話を聞いた来場者の全員が、「被爆者の体験談を聞いたのは初めて」と答えた。サクセスストーリーとして伝えられていた歴史の裏側で、過酷な経験をしていた被爆者の生の声は、人間的なレベルで確実に来場者の耳に届いた。
 「私は戦争を憎み、人は憎みません」―。
 最後に被爆者の1人が発したこの力強い言葉が、世界中の人々に届くことを願って止まない。【中村良子】

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