母校の入学式に招待された。今年は大学卒業から50周年。塾長の名でこの年次の卒業生全員を4月1日の入学式に招待してくれた。卒業から半世紀の記念と、式に参列して新しく後輩となる若い新入生を励ましてくれとの趣旨。同級生には既にこの世を去った者も何人かおり、彼らの分も生きてる仲間で出ようと連絡を取り合った。100周年に出るのは難しいからな、と。
 日吉の丘の大記念館いっぱいに広がる孫に近い若人の後輩たち、初々しく幼くすら見えて思わず頑張れよと心のエールを送った。われらもあのように若かったのだろうか。われわれ50周年組は後方に座る。皆十分に老けてきた。さらにその後ろに新入生の若い父母群。式が進んで最後に母校の塾歌と若き血を皆で歌った時はさすがに感慨深く素直に感激した。
 日吉の構内は広く緑豊かで、並木道をずっと進んだ奥の記念館の裏は大自然の緑になって続く。散策した昔を思い出す。
 式の後は塾長招待の歓迎式。終わってからクラスの仲間と横浜に移動してクラス会と続いた。クラス会には10年に一度のペースで出てきた。懐かしいがいつも違和感なくすっとつながる。皆、夫々に自分の道で生きて来た感慨がある。クラス会ではいつも終りに皆で肩を組み塾歌や応援歌を歌う。老けたおじさんの容貌の仲間がこれをやるので店の人から見るとおかしいか異様かもしれない。自分も半ばそう感じるが、歌える時に歌っておこうと思い直す。
 クラス会とは別にクラスの中で特に親しく団子となっていた仲間は毎年日本に行くたびに数人で集ってくれる。会った瞬間にすぐ昔のお前、俺の世界に入る。これが旧友のよさ、故国のよさなのだと実感する。仲の良いどうしでは日本で日頃頻繁に会ったり旅行したりしているらしく、それを聞くと羨ましい。しかし僕のようにたまに日本に行くと大事にしてくれるのでそれも有難いし悪くない。
 小、中、高校の同級生仲間と共に生涯の友となっている。普段会わなくてもいつも通じ合っている安定感があるのだ。友がいる幸せを感じている。【半田俊夫】

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