天皇、皇后両陛下が今春、戦後70年に当り戦死者の慰霊にと、先の大戦末期の激戦地ペリリュー島を含むパラオ共和国を訪問された。日本の敗色濃い状況で米軍4万の猛攻撃を受けた日本軍は補給の途絶えた中で激しい抵抗戦の末に玉砕し全滅した。日本軍の戦死者1万人余。
両陛下は強い意向でこれ迄にも戦後50年の95年には広島、長崎、沖縄を、戦後60年の05年には同じく激戦の末に玉砕となったサイパンを慰霊に訪れている。広島、長崎は原爆、沖縄は戦没20万人。サイパンも玉砕の地で日本軍戦死者3万人、民間人死者1万人とされる。バンザイクリフやスーサイドクリフと悲しい名が付けられた断崖もある。両陛下がこの断崖から海に向ってじっと頭を下げている報道は今も覚えている。太平洋戦争開戦時に今上天皇は8歳。戦争責任は問われない年齢だった。だが今も高齢を押して各地に慰霊に向われる天皇には一貫した鎮魂と平和への祈りの心が伺える。国民を代表して慰霊の巡行を続けるお二人の姿に自然に頭が下がる。
さてこのパラオは人口2万人の小国だが世界一、二の親日国だ。ドイツの植民地だったのを第一次大戦時、戦勝側の日本が二次大戦の敗戦まで約30年間委任統治領とした。パラオの人は今も「みんな日本が大好き、日本人が大好き、天皇が好き」とオープンに語る。日本はドイツがしなかった学校教育、インフラ建設、産業育成を行った。日本時代に建てた諸々の主要建築は今も政府機関や民間に使われている。日本は戦後も米国と並んで橋、飛行場、野球場などインフラ建設を続けてきた。ペリリュー島の激戦も、日本軍は戦いの前に現地人を島から避難させてから戦ったので現地人の死者は無く、今も好感されている。
戦前日本語地域だったパラオは戦後公用語はパラオ語、比国語、英語となったが日本語も公用語にする州もあり、英語地域でも日本語が3千語以上使われているという。日本の名前を戦前から持つ人も多く、戦後も子供に日本名を付ける家庭も多い。正月はお汁粉を食べ、カードは花札をするという。94年独立時の初代大統領は日系のクニオ・ナカムラ氏。他にも世界に親日国は数あるが、パラオは最親日で大事にしたい。【半田俊夫】