2003年は天皇・皇后両陛下ご臨席のもとで、名瀬市で執り行われた奄美群島日本復帰50周年記念式典に同会から15人が参加した。同年はまた、与論島出身のかりゆしバンドと歌手の小野綾子さんのロサンゼルス公演を支援し充実した活動をこなした。10年に郷土が豪雨に見舞われ甚大な被害が出た際に、同会はいち早く対応。日系社会の横のつながりを生かして支援を得、義援金約1万1千ドルを送るなど、島との絆を大切にする。
ショーは、はじめに奄美の青い海と空といった豊かな自然と文化、特産物などを紹介するビデオが流され、メンバーは郷里に思いを馳せた。日本復帰60周年は2年前だったが、同会は創立記念行事と同時に開いており、復帰運動で島の人々が熱唱し歌い継がれた「日本復帰の歌」を合唱し祝った。
島唄者2人は、各地の民謡大会で数多く受賞している中村瑞希さんと、期待の若手の笠利ひさなさんが6曲を演奏。三味線と唄を披露した中村さんは選曲を「40周年に合わせたお祝いの曲と、懐かしく島を思い出す人気のある曲を用意した」という。奄美会のメンバーについて「故郷から遠く離れた国で根を下ろして、奄美のことを伝えてくれてすばらしい」とたたえ「子ども、孫たちが、奄美の心を受け継いでほしい」と願った。笠利さんは唄とともに、旧正月に子どもたちがかつて興じた「手遊びを」を観客に教え、ともに遊び「お客さんのノリがよく、一緒に手遊びができてうれしかった」と喜んだ。大きな拍手を送られ「受け入れてもらい緊張がほぐれた。奄美を思う気持ちが伝わってきた」と話した。
大島紬を紹介するファッションショーは、男女のモデル約40人が登場。独特の製法で作られるさまざまな種類の着物やドレスを身にまとい、ポーズをとるたびに、大きな拍手が起こった。最後は有志がステージに上がり、島のブルース(三沢あけみ)と徳之島の闘牛シーンを唄った「ワイド節」に合わせて踊り、会場は一体となりフィナーレを飾った。
ガーデナの中華レストランで行われた祝賀会には、約240人が参加した。飲んで、歌って、踊り、祝宴は盛り上がった。日本から訪れた合わせて約30人の鹿児島、東京の両奄美会のメンバーと語り合い「初対面とは、思えないほど」などと、意気投合。ラスベガス旅行もともにした。
朝山・奄美市長は、奄美会との交流について「島唄と大島紬を紹介してもらい、うれしくありあがたく思う。島唄のリズムに乗ってウキウキと踊り、メンバーの体の中には島の原点が染みついていると思った」と話した。被災時の奄美会からの励ましの言葉と義援金に対し「物心両面で支えられた。忘れることはない」と感謝に堪えない。帰島後の報告は「われわれの先達は、郷土を愛してアメリカの大地で根をしっかりと張っている。奄美会を作って、助け合って励ましながら、後輩も育てていてすばらしい」とし、「奄美会を誇りに思う。これからも友情を深めていきたい」と抱負を述べた。
西元会長は、記念行事について「大島紬と島唄を紹介でき、みなさんに喜んでもらえてよかった」と胸を張り「ショーで若い人が『大島紬を着ることができて本当によかった』と誇りに思ったことがうれしい」と述べた。訪米した同郷人と親睦し「旅にも一緒に行って、心が通じ合った。遠い奄美がぐっと近くなった感じがし、絆が強まり今後の活動の励みになった」と喜んだ。今後については「50周年に向けメンバー間で親睦を深め、奄美の市町村と連携しながら、物産、伝統芸能を紹介し奄美のよさを伝えたい」と抱負を述べた。【永田潤、写真も】