旧暦で12月を「師走(しわす)」と呼ぶことはご周知の通りですが、12月には「極月(ごくげつ)」「限月(かぎりづき)」「暮古月(くれこづき)」のように一年の最後や締めを表現する異称もあります。その他、「親子月(おやこづき)」「春待月(はるまちづき)」などさまざまな呼び方もあったようです。それにしても私たちの先祖はそれぞれの季節感を巧みに、そして文学的に表現していました。
 小さい頃は、親戚の家に遊びにいくことが楽しみでした。その家には、私たちに年が近い、いとこの兄弟がいたからです。よく兄と二人で、自転車でその家に1時間ほどかけて行ったものです。私たち兄弟の服や食器だけでなく下着に至るまで、いとこ兄弟のお下がりであったことも少なくはなかったのですが、それは私にとっては嬉しいことでした。
 いつも四兄弟のように遊んでいた中で、私は一番年下。いとこの兄が一番年上だったので、遊びのリーダーはいつもいとこの兄で、親しみを込めて僕らは「あんちゃん」と呼んでいました。あんちゃんの遊びには常に工夫がありました。ボール紙や廃品で遊ぶ方法を教えてくれたり、手作りの人生ゲームには夢中になりました。あんちゃんの頭の中にはアイデアが溢れていましたから、いつも発見と驚きがありました。もしかしたら子供の時に遊びの中で学んだことが、今の自分を作っているのかもしれないと思うほどです。そして、そのあんちゃんの訃報が届きました。
 正月の飾りに使うユズリハを、親子草とも呼びます。新しい葉が生長してから古い葉が代を譲るように落ちるので世継ぎの縁起物とされますが、12月は新しい年が来るのを見届けてから去る月なので「親子月」と呼んだという説があります。親子月に季節が移り替わるように、人の人生も代を譲って移り変わっていくものなのだと思いました。私の心の中には子供の頃のあんちゃんの教え上手な言葉や、いたずらっぽい表情が蘇ります。きっと待ちきれなかったのですね…春待月だというのに。【朝倉巨瑞】

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