禎子さんは、広島とシアトルの両平和記念公園内の「原爆の子の像」のモデルである。12歳という短い生涯は、日本のみならず米国を含む世界約50カ国で紹介され、教材として授業で使われている。
禎子さんについて25年前に習ったニューメキシコ州ロスアラモスの子どもたちが建てた平和の碑がある。世界の子どもたちに呼びかけて1ドルずつ基金を集め、完成させたことを知った曽原監督は「原爆が作られた町(ロスアラモス)の子どもたちが平和の碑を作ったと聞いてびっくりした」という。「その話と禎子さんの話をミックスさせて、アメリカ人の子どもたちが世界に平和を発信するストーリーにしたいと思った」と、映画制作の経緯を説明する。
映画は、日本からLAに移り住んだばかりの小学5年生の主人公さとしは新生活に馴染むことができなかったが、級友そして、真珠湾攻撃の生き残りの退役米兵に、鶴の折り方を教えることで、友情を深めていく。さとしは、元兵士に頼まれ、真珠湾の記念館で開かれる戦没者追悼式典に参加し、禎子さんの実兄の雅弘さんと出会う。禎子さんの遺品である折鶴を贈られたさとしは、禎子さんの遺志を受け継ぐ決心をする。
映画に出演したマーマン小学校の生徒たちが授業で実際に折った鶴と、日米の有志から寄せられた折鶴の総数は3800羽となった。そのうちの千羽を広島、もう千羽をホワイトハウスに贈り、折鶴でつなぐ平和の輪は広がる。
作品の試写会が関係者を集め先月末、ウエストLAで開かれた。曽原監督が、あいさつし、映画制作のきっかけは、自身の子どもが禎子さんの物語を学校で学んだことと紹介し「戦争やテロに心が痛み、何か命の大切さを作りたいと思っていた。ちょうど昨年が戦後70年であったことからこの作品を作ろうと思った」と話した。
禎子さんの1羽、JANMに寄贈へ
実兄雅弘さん、平和教育で講演
LAでの上映には、佐々木雅弘さんと息子の祐滋さん(禎子さんの甥)が、禎子さんの折った1羽(米国で4羽目)を持って来米し、全米日系人博物館(JANM)に寄贈する。2人は、雅弘さんが理事長を務めるNPO「サダコレガシー」で平和活動を継続しており、当地では小、中、高校を回り、平和教育プログラムで雅弘さんが講演を行い「世界の一人ひとりが思いやる心を持てば、戦争は起きない」という禎子さんが抱いた「禎子スピリット」を伝える。
【永田潤、写真も】