駒井豊策がFBIの職員に指紋を採取される瞬間を捉えた写真
駒井豊策がFBIの職員に指紋を採取される瞬間を捉えた写真

 古びた印刷機は暗闇の中で静かに復活の時を待っていた―。
 羅府新報社の社員通用口の傍らに一枚の白黒写真がある。写真の中の男は何かを耐え忍ぶがごとく、こわばった表情を浮かべ、カメラのレンズを見つめている。【吉田純子】
 1941年、日本軍による真珠湾攻撃の後、FBIは日系コミュニティーのリーダーたちを一斉検挙した。写真は当時の社長・駒井豊策がFBIに指紋を採取される瞬間を捉えたものだ。大柄な職員の間に挟まれ、沈痛な面持ちで視線をこちらに向けている。
 羅府新報は日米開戦後の42年に休刊を余儀なくされた。休刊と同時に印刷機や日本語の活字(当時は活版印刷だった)は葬られる運命かと思われた。しかし機材は豊策の拘束後、彼の後を継いで陣頭指揮をとった長男の明によって社屋の地下に隠された。そして再起の時を待ち構えていたのである。
 「戦後必ず日系人の間で就職や住宅、家族の安否確認などの情報が必要とされる時がくる。その時こそ新聞がコミュニティーの人々に情報を届けなければならない―」
 終戦を迎え、3年9カ月の休刊期間を経て羅府新報は再刊した。予想通り、日系人は求人情報などを求め、こぞって新聞を手にとったという。
 それから70年の歳月が経ち、紆余曲折を経て今に至る。先月、存続危機を伝える社告が掲載された。北米の邦字紙の相次ぐ休刊やデジタル化への移行など新聞業界も試練の時を迎えている。
 しかしたとえ幾多の困難が降り掛かろうとも、当地で日本の文化を継承し、さまざまな分野で活動する日本人、日系人がいる限り、彼らの活躍は伝えていかなければならないと思う。それが1903年の創刊から羅府新報が守りぬいてきた伝統であり邦字紙としての使命でもあるからだ。
 取材に出る時、社員通用口を通るたびに写真の中の豊策と目が合う。そのたびに気持ちが引き締まる。彼は今どんな思いでこの状況を見つめているのだろう。戦中戦後の苦難を乗り越え、日系コミュニティーのため、決して絶やすまいとの思いを後世につないできた彼の瞳は存続をうったえているように見えてならない。

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