初体験の同窓会に行ってみた。
 私の故郷は日本列島の端っこの山口県、日本海側に位置する萩市である。幕末の志士が巣立った吉田松陰の松下村塾があり、指月山の麓には毛利の城跡がある。私は高卒後は東京に出て学び、その後米国に働きに来てそのままここに居付いた。
 米国での激しい日々を夢中で過ごすうちに、故郷は次第に遠のいていった。ふるさとの級友と連絡を取ることも途絶えたから、その後の何十年間は同窓会の通知など来るわけがなかった。
 ところが60歳も半ばになった先日、見知らぬ人から突然メールをもらった。同郷だという。4年に1度開かれる萩四高校合同の同窓会が東京であるから出てみないかと誘われた。なぜかふと、その気になった。年齢的にも一区切りをつける時期に来たためかもしれない。これを目的に5年ぶりに日本に帰った。
 参加者250人余りでも学年が一つ違えばもう覚えている人は少ない。50年の歳月が刻まれた皺の奥に青春の日の友の顔を探すのは困難だった。それ以上に困難だったのは、何名かの級友が既に亡くなっていることを咀嚼することだった。命さえ終った人、時間の波にもまれて疲弊した人、いまだに若く溌刺とした人、流れた時間が各々の姿の上にはっきりと見えた。それでも同郷という絆に気持ちがほぐれた。
 嬉しかったのは中学時代の親友がわざわざ萩から上京し、遠い道を会いに来てくれたことだった。私がアメリカに帰ればもっと遠くなるからと。別れた後の50年間のあれこれの話をする。中学生の面影が互いに老いた顔の奥からじわじわと滲み出てくる。不思議なものだ。顔の奥に、その人だけが持つ特徴があり、笑顔の片鱗があり、それは半世紀を経ても変わらないのだった。その変わらぬ面影を互いに確認する。萩で一生を過ごした彼女と、米国で40年を過ごした私との距離が近づく。
 同窓会に出るというのは歳月の流れを悟り、それでも変わらぬ友との思い出をいとおしむためなのだろう。思い出は胸の奥に温かく灯る。校舎の窓から大空を見上げたあの頃に戻れる。【萩野千鶴子】

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